モーニング・スープ



 藤城家伝統の食べ物は多い。
 母が考えた物、祖母が母に伝えたものなど、結構な数に及ぶ。
 食材ごとに多種多様のオリジナル料理があり、私もそれを受け継いだ。
 モーニングスープもその一つだ。
 夕食時に飲むスープはじゃがいもの冷製スープなど色々あるが
 モーニングスープはモーニングスープ一種類のみしかない。
 レシピノートには、食材として人参、玉葱、じゃがいも、豆腐、油揚げ、大根等が
 挙げられその中から数種類選び使用すること。
 調味料は合わせ味噌。注意書きとしてきちんと煮干からだしを取ることとある。
「平たく言えば味噌汁なんだけどね……」
 藤城家では味噌汁は朝しか飲まない。
 逆に言えば朝飲むのは味噌汁と固く決められたルールがあった。
 嫁いだ今は別に守らなくてもよいのだが、慣れで朝は味噌汁でないと落ち着かない。
 その習慣は自然と夫と息子にも植えつけられていた。
 味噌汁の味見をしている頃、決まって夫の陽が姿を見せる。
 そのタイミングは新婚当初から数年たった今も変らない。
「おはよう」
「おはよう、陽、砌は起きた? 」
「ごそごそ音がしてたから起きてるんじゃないかな。
 昨日の晩からはりきってたからね」
「興奮して眠れないってタイプでもないわね」
「そうだね」
 賢いのにお馬鹿っぽく見える愛すべき息子への辛口の愛情表現だ。
「……あら、おはよう、よく眠れた? 」
 分かりきっているがわざと聞いてやる。
 ばたばたと走りこんできた我が子ににっこり微笑むとじとっと睨まれた。
 いくら睨まれても何の効果もない。
 本人はいっちょ前のつもりなのだろう。
 ただしまだ4歳だが。 
「当たり前だろ、みどり」
 生意気盛りの息子は母親をさらりと呼び捨てにしてくれた。
「お母さんでしょ」
「……もしかして青の影響かな」
「月に一度会うか会わないかの叔父の影響? 」
「その叔父ってのかなり違和感あるよね」
「今更。それはそうと今更呼び方直しそうにも思えないわね」
「思春期は扱い辛そうだしね」
「思春期の問題じゃない気もするわ、あの子の場合」
「ごちそうさま」
 話しこんでいる間にどうやら食事を終えたらしい砌は、
 とてとてと走りキッチンから出て行った。
 声音がむっとしていたのが気になるけれど。
「そんなに長話してたかしら? 」
「いや単に砌が早すぎるだけだ。きっとかき込んだんだね」
「咀嚼もできないのね、しょうがない子」
 相手にしていなかったくせに棚にあげた。
 必要以上に構われたくないとアピールしながら、あまりに放置しすぎると
 拗ねて訴える。なんとも分かりやすい性格だ。
 誰に似たんだか。
 ばたばたと駆け出した砌の後を追い駆けると玄関で靴を履いていた。
「ハンカチとティッシュ持った? 」
 エプロンのポケットに手を突っ込みながらそう尋ねると
 ささっと幼稚園カバンから取り出してみせた。
「いってきます」
「いってらっしゃい、頑張ってね。それから皆と仲良くするのよ? 」
 こくりと頷く砌の頭を撫でてやった。
 帽子を被って鞄を背負って、心なしか誇らしげな表情だ。
「ふう」
「溜息を声に出すか」
「私は出すわ……って陽何のんびりしてるの」
 夫の陽は4月で内科医5年目になる。
 医師として着実に日々を重ねていた。
本来なら私も医師になるはずだったが、
医師の夫と結婚することで  父の想いに答えた。
「今日オフなんだって言わなかったっけ」
「聞いてないわよ」
「まあいいじゃない。ゆっくりしようよ」
「……そうねー砌が帰ってきたら実家でも行く? 」
「いいね、それ」
 実家を訪れることを突然提案した私に陽は楽しそうだった。
 どうやらかなり乗り気のようだ。
「帰ってくるまでに準備しとかなきゃ」
「俺は洗車行ってくるよ」
「あなたってマイペースよね。さすが私の旦那だわ」
「だろう? 」
 私たち夫婦の変人振りは今に始まったことではなかった。
 自覚がある分マシってものよね。

 正午過ぎ、幼稚園バスから降りてきた砌を手招きし、車に引きずり込んだ。
 ではなく……強引に車に乗せた。
 訳も分からないと顔で語っている4歳児ににっこりと微笑む。
「出すよ? 」
 そう言って陽はシルバーボディーの愛車をゆっくりと発進させた。
 実家までは車で30分圏内だ。
 ちょっとしたドライブ気分に浸っている私の隣りで
 我が愛息は窓にべったりと張りついてこちらを向こうともしない。
 その横顔は哀愁が漂っている。4歳児の癖に。
「幼稚園で何かあったの? 」
「……」
 じっと顔を覗きこむと砌は俯いた。耳まで赤い。
「図星なのね」
 面白がって肩の辺りを突っついてやった。
 どうやら沈黙を貫く気でいるらしい。
「あっちに着いたら聞かせてね。あなたの大好きな
せい兄ちゃんも  直に帰ってくるから」
「な……別に好きじゃないっ! 」
「あら、何でそんな過剰に反応するの? やっぱり大好きなのね、可愛い」
「……っ」
 むむぅと黙りこくった砌に微笑する。
「おいおい、苛めすぎじゃないか」
「これもお母様の愛なの」
「……ひねくれたらどうするんだ」
「大丈夫。引き際は弁えてるわ」
 陽の苦笑した気配が伝わってくる。なぜなら肩が揺れたから。
 私って根っからのいじめっ子体質なのよね。
 可愛いからいじめたくなるってやつ。
「どうぞ着きましたよ、お二人さん」
 車から降りた陽が、外から扉を開けてくれた。
 砌は彼に手を引かれて歩き出す。
 お彼岸に帰ってから一月。
 実家は何も変ってはいなかった。
 いつも知らない間にどこか増築されていたりするものねえ。
 チャイムを鳴らすといつものように、家政婦の操子さんが飛んでくる。
「まあ。翠さまに陽さま、砌お坊ちゃま。いらっしゃいませ」
「突然で驚かせちゃってごめんなさいね」
 操子さんは穏やかな笑みを浮かべて私たち三人を見比べた。
「青に用があるんだけど……帰るまでちょっと時間あるわね」
「ええ、後1時間位で帰られるでしょうが、16時に家庭教師の先生が
 おみえになるんであまりお会いする時間がないかもしれません。
 折角来てくださったのに残念ですね」
「とりあえず待ってるわ」
「すぐにお茶をご用意しますので」 
「ありがとう」
 さあいらっしゃいと砌と手を繋いで屋敷内に入る。
 砌は何度来てもこの屋敷には慣れないみたいだ。
 リビングに入ると鼻をくすぐる芳香。
「いい匂い」
「ガーベラだね」 
 テーブルの上の一輪挿しにはガーベラが飾られていた。
 庭のを手折ったものではなく花屋で買ったものだろう。
 黄色いガーベラは鮮やかで可愛らしく見ていると和んだ。
 白い羊毛のソファーにすとんと座る砌。
 床につかない足をばたばたと動かす様子は何だか可笑しい。 
「落ち着きなさい、ね? 」
「じゃあ帰ろうよ、母さん」
「ママって言ってみて」
「やだ、勿体無いから」
 不味い。大人気ないことにかなりむっとしてしまった。
 操子さんが運んできてくれた飲み物に砌はすかさず飛びついている。
 あまりの勢いだったので操子さんは一瞬、目を丸くしていた。
「あらそんなに慌てなくても大丈夫ですよ」
 くすくすと微笑ましそうに砌を見つめ頭を撫でている。
 彼女にとって孫みたいなものなのだ。
 操子さんは父より少し年上だ。
 初老という年齢だがそれでも漂う品は隠し切れない。
 昔は相当綺麗だったんだという面影が感じられた。
 母はよく平気だったものだと思う。
 うーん記憶に残るあの人はそんなこと気にするような人じゃなかったか。
 私なら絶対堪えられないわ。
 紅茶のミルクをスプーンでぐるぐる掻き混ぜる。
 白い渦巻が周りの色と同化して溶けていく。
 陽は、静かにカップに口をつけていた。
 オレンジジュースを飲み干した砌はまだ足りないのかストローを噛んでいる。
「駄目でしょ。お行儀悪いわよ」
 すっと取り上げると恨めしげに睨まれた。
 こういうところが子供よねえなんて当たり前のことを思う。
 まったりと一時を過ごしていた時、玄関の方で静かな音がした。
 壁の時計を見れば3時を少し回った辺り。
 操子さんは既にリビングから消えていて、向こうから声が近づいてきた。
 キィと扉が開く。憎らしいほど見目麗しい美少年がたたずんでいた。
 決して身内だから贔屓目に見ているわけではない。私はどちらかと言うと
 美意識は高く見る目は厳しい方だと思っている。
 彼は色も温度もない無表情でちらとこちらを窺うと、
「何でいるの、皆して。平日なのに暇してるんだね。気の毒に」
 矢継ぎ早に可愛げのない発言をした。小学生の頃なんてその美貌がよく女の子に間違われていた
 というのに、ああ見た目とのギャップって恐ろしいわ。
 今は流石に声変わりもして男っぽい雰囲気が出てきてるけどね。
「今日、僕がオフで、砌が帰ってから久々にお邪魔しようかって話になって来たってわけ。
 遊びに来たら迷惑だったかな」
 陽は穏やかな顔で穏やかに言ってのけた。
「いえ。ゆっくりしていって下さいね。それじゃ俺は忙しいので失礼します」
 丁寧に頭を下げるとその場を去ろうとした青を
「せい」
「……せい兄」
 砌が呼び止めていた。
 律儀に訂正を入れる辺り生真面目だ。
「せいにぃ……あのね」
 無駄に名前を連呼する砌。もう馬鹿な子なんだから。
 相手の反応を見極められるようにしっかり教育しなきゃ
 青は付き合いきれないという表情をすると今度こそ早足で去っていく。
「ちょい、そこのクールビューティ坊や!」
 表面上は変らないが内心はきっと不愉快なのだろう。
「だって坊やもつけなきゃ変でしょ」
 いけしゃあしゃあと言うと彼は黙り込んだ。陽は隣りで口元を押さえているが
 声が漏れているので笑っているのはばればれだ。
「……何だよ」
 不承不承の態で青が立ち止まった。
「砌の前でお姉さまを呼び捨てるの止めて欲しいのよ。
 ちっちゃい子はすぐ真似したがるんだからね」
「悪かった……俺の責任だな」
 青の素直な言葉に陽は頷いている。
「姉貴、ゆっくりしていけよ」
 涼しげな目元を覗かせた青は、そのままリビングを後にした。
「大人になったね」
「まあ根は素直ないい子だし、父がいる場では呼び捨てることはなかったのよね」
「なんてったって私の弟だもの聞き分けいいに決まってるでしょ」
 続けざまに言った私に陽は傑作とばかりに笑った。
 砌はいつの間にやら肘置きを枕にして寝こけていた。
「あどけない寝顔ね」
 柔らかな頬を指でつまんでいると自然と笑みが漏れる。
 陽は頭を撫でていた。
「そろそろ帰りましょうか」
 と声を掛けると砌を背中に背負って立ち上がる夫の行動に胸が温まる心地がした。
 途端に首に腕を回してしがみ付くちゃっかりとした我が子。
 寝ているんだか起きているんだか。
「もうお帰りですか。もっとゆっくりなさったらよろしいのに」
 廊下を歩いている時遭遇した操子さんに声を掛けられた。
「この子も寝ちゃったし、久々にあの子と会えて楽しかったから
 充分よ。操子さん、父と青のこと頼みます」 
「ええそれは勿論」
「そうだ、聞かなきゃいけなかったことが。
モーニングスープって  どうしてお味噌汁なの? 」
「藤城では元々朝は味噌汁と決まっているんですが、
 いつも味噌汁じゃお洒落じゃないと紫さまが仰って呼び方を変えられました。
 それからモーニングスープと呼ぶようになったのです」
「発端はお母様か」
 しみじみ納得した。
「裏メニューで洋風味噌汁もありますよ。私が考えたんですけれど」
「材料は? 」
「お味噌ではなく牛乳を入れるんです。他は豆腐、油揚げ、大根は使用しません」
「今度作ってみるわ」
 要するにポタージュのことなのだと見当はついた。
 特別変わったメニューでもないが。藤城家は朝だけ一般的すぎておかしい。
「それじゃまた」
 陽が操子さんに軽く頭を下げて、私たちは藤城の屋敷を後にした。
 おねむの砌は、当分目を覚ましそうにない。
 車に乗り込むとすかさず陽に
「適度に飛ばして」
 と号令を出した。
「はは……分かった」
 言葉通り陽は適度に飛ばして家までの距離を半分に短縮した。
 帰宅すると子供部屋に砌を寝かせて、二人でソファでくつろぐことにした。
 久々にいちゃいちゃするのもいいんじゃない?
  

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