一緒にいて。  今生の限り私の側に。



「おめでとう、翠」
「ありがとう」
 父・隆が、温かい眼差しで娘を見守っている。
 花嫁姿の翠は、とても美しく初々しい。
 翠は学生結婚であるし、夫の陽は医師として歩き出したばかり。
 まだまだ隆の助けがいる二人だが、将来は今までの分を
 何倍にもして返してくれると信じている。
 隆は期待しているのだ。
 翠は、医師の道を目指すことをしなかった。
 高校に上がるまでは、医大を目指して学んでいた翠が、
 2年になった頃突然医大へ行くのをやめると言ったのには
 隆は少し落胆した気持ちがあった。
 だが、半ば覚悟したことでもあった。
 隆は、条件を出して医師を志さないことを認めた。
 医師の夫と結婚すること。
 翠は幸運にも葛井陽という医師を
志す将来有望な男と出会いいつしか惹かれあっていった。
 隆も陽を認めずにはおれなかった。
 ちゃんと彼女は、約束を守ったのだ。
 本人は偶然だと言い張るけれど。
 若いカップルに祝福を送ろう。 
 翠は大学四年になったばかりで、陽は医師2年目。
 どんな困難が待ち受けているか分からないけれど、
 君たちならきっと乗り越えてくれると信じている。
 係員に呼ばれて、翠が控え室を出て行く。
 振り返り際に見せた表情は、彼女の母親によく似ていた。
 昔から父親そっくりだと言われていた翠だが、やはり女の子ということだろうか。
 行きなさいと隆は眼差しで促す。
 にっと口の端を吊り上げた強気な顔は、やっぱり自分譲りだった。



この扉を開けば、あの人が待っている。
 乙女チックなこと柄じゃないと思いながらも
 やっぱり嬉しくて、想いが溢れ出しそうになる。
(陽と結婚するって出逢った時から確信があったのよ) 
 瞼を伏せて、今までを思い返す。
 2年足らずの交際だったけれど強がりで我儘な翠に陽は付き合ってくれた。
 彼でなければできなかったと感じる。
 似ているようで違う彼だからこそ翠の隣りを努められた。
 恋愛経験の乏しかった翠をさりげなくリードして、
 そう感じさせない素振りで自然に側にい続けた。
 初めの頃は反発しあうこともあったが、いつしか傍から
見てもお似合いの二人と言われるようになった。
(行くわ)
 翠は、瞳を開ける。
 開かれた扉の中に飛び込んだ。
 父にエスコートされ、歩いていく。
 新郎である陽と父が眼差しを交わして、頷いた。
 隣を歩く相手が、陽へと替わった時いよいよだと翠は心の中で呟く。
 緊張感が増していた。
 神父が待つ場所へと二人は並んで立った。
 神の御許でこれから結婚の誓いをする。
 何度となく繰り返したイメージ。
 ――ずっとこの道を二人で歩いていく。
 息を飲み込んで冷静さを保とうとした。
 神父が、式を進めていく。
 教会で、挙げようと陽と翠は二人で決めた。
 父と親族と身近な友人のみのささやかな挙式。
 大げさな式はまた十年は後の未来、弟が引き受けてくれる。
 藤城家の跡継ぎとして、盛大に式を挙げることだろう。
 どちらにしても、後日披露宴がホテルであるのだけれど。
 指が震えないように、気をつけて互いの指にリングを嵌めれば、
 ステンドグラスに反射され互いの指先がきらりと光った。
 陽が翠のヴェールを外した。
 額に掠める唇。
 珍しく照れたような顔が視界を埋めた。
「かわいい」
 小声で呟けば、
「君こそ可愛いよ」
 聞こえないほどのトーンでのろけ合う。
 教会の扉が開かれる。
 笑顔の華を咲かせた翠と陽が手を取り合って外へと出た。

 赤い絨毯のヴァージンロードを歩いていく時、花びらが二人に降ってきた。
 髪に絡んだ花びらを陽が、指で摘んだ。
 翠は空を見上げた。
 宙高く投げたブーケを拾ったのは、翠の弟である青。
 一瞬目を細めたが、すぐに近くにいた女性に渡す。
 翠の女子高時代からの友人である女性だ。
 くすっと笑んでお礼を言った彼女は、青の頭を撫でようと手を伸ばす。
 撫でられた青はくしゃくしゃと顔を歪めて笑った。
 こうしたら相手が満足すると計算した演技だということを翠は知っていた。
 心なしか頬を染めているのは、素だろうけれど。
 
 二人はホテルの部屋でやっと一息ついていた。
 ウェディングドレスに包まれた翠の姿を改めて見て陽は溜息をついたのだった。
「あら、見惚れた?」
「ああ」
「じゃあ今の内にしっかり胸に焼き付けておいたら。
 二度は着ない物だし」
「……そうだな、二度とは見られないものだからな」
 出席者がたくさん撮っているだろうけれど自分の瞳に映しておきたい。
 今この瞬間の翠を。
 式では、結構緊張してまともに顔を見られなかった陽だ。
 そうは周りには見えないのだろうが。
 指先でシャッターを切る真似をすると翠が、おどけて笑った。
 陽は、ドレスの胸元を飾るコサージュを外す。
 コサージュ、髪を飾る花、イヤリング、ネックレス、指輪と
 身につけていたものが、ドレッサーの上に置かれていく。 
 翠はくすりと笑い、ドレスの裾を持ち上げて太腿を露わにするとガーターベルトを自ら外した。
 翠から受け取ったガーターベルトに陽はそっと唇を寄せる。
 下着だけの身軽な格好になった翠を陽は抱かかえてバスルームへと連れて行く。
 脱衣所で、陽が着ていたものを悪戯な指先が剥ぎ取っていった。
 

 ベッドの上、重なり合う。
 素直になればいいだけだ。
 初夜は結婚式後の二人の初めての夜。
 未来を誓う儀式的なものだと二人は受け止めていた。
「……私には誘惑が多いのよ。全部撥ね退けるけれど、
 あなたも覚悟していて」
 妖艶な笑みを浮べて、翠は呟く。
 結婚した事実は卒業まで隠し通すつもりでいる。
 公にしても問題ではないけれどけじめというか、
 学生の身分から抜けるまでは、藤城翠でいて欲しいという
 父の願いもあった。入籍しても外では藤城で通す。
 少し早い結婚を認め、家を出ることを許した父が出した絶対条件の一つ。
 もう一つは子供は翠が卒業するまで作らない。
 翠の学業優先で夫婦生活を送ることを二人は互いの親に約束した。
 要は卒業してから出産すればいいだけのことだ。
 計画は、既に綿密に立てられている。
 翠に、少し剣呑な眼差しが降り注ぐ。
 他の事を考えられなくしてやると、陽の瞳は言っている。
 脳裏で思考していることなど陽にはお見通しだった。
「気を逸らすなよ」
 指を絡めた時強い衝撃が翠を襲った。
 散った赤い華を指がなぞる。
「早く、あなたの子供が欲しいのよ」
「……そうだな。翠の卒業プレゼントにしよう」
「あら。約束したわよ?」
「違えることはないさ」
 自信たっぷりに笑う陽の首筋に腕が回される。
 熱く甘い夜は、ゆっくりと過ぎていった。



 キャンドルサービス、ウェディングケーキ入刀と  滞りなく披露宴は進んでいった。
 花束を渡す際、父の目の端に雫が滲んでいたのを後で
からかいの  ネタにしようと翠は思った。
 こんなお父様の姿なんて貴重で滅多に見られるものじゃないもの。
 開き直る辺り中々のツワモノだ。
 お互いの両親への花束贈呈を終え、披露宴はクライマックスを迎えた。
 チャペルで挙げた式とは違い、大勢の列席者が集まっている。
 藤城家のスケールの大きさに、陽は苦笑する。
 お礼状を書くだけでも一苦労だ。
 いくら面倒であろうと将来の為にもきちんとしておかなければならない。  
 ケーキ入刀以外でやらなければならない共同作業だ。
    「はい、あーん」
 翠が陽にフォークを差し出し彼は口を開けた。
 会場に甘い雰囲気が漂う。 
 完全に二人だけの世界が作られているように見えるだろう。
 他愛のない戯れが、翠と陽はたまらく好きだった。
新郎新婦退場の声が掛かり、盛大な拍手の中二人は会場を後にした。

「何か、やっと終ったって感じね」
 ふうと吐息をつく。
 引越し準備を前日までにようやく終えて、晴れて新居に移り住んだ。
 色々事情を考え、新婚旅行は諦めることにした。
 陽はまだまだ医師としてはひよこの身でそれどころではないし、
 長期の休みがない職業というのもある。
 翠は夏休みがあるが、我儘は言うつもりはなかった。
 普段よりも気合を入れて主婦業に専念するつもりでいる。
「……疲れた?」
「若いから大丈夫」
「僕に対する嫌味かい?」
 陽の方が翠より4つも年上で今年26なのだ。
 しかも翠は早生まれである。
「見た目では歳の差があるなんてわかんないわよ」
「童顔の僕だって、さすがに君の家にはびっくりしたよ」
 父である藤城隆は、年齢の割りにかなり若々しい外見をしていて、
 初めて見た時、陽はかなり驚いた。
 現在、隆は40を過ぎているがその辺の40代よりずっと若いだろう。
「あら。でもあなたも近い将来子供の彼氏か彼女に
 びっくりされるかもよ。年の差がある分老けるスピード遅くてちょうどいいのよ」
「そうだねえ。君も若く綺麗なままでずっといてくれるんだろ」
「あなただけに綺麗だと思ってもらえればそれでいいわ」
 だから離さないでね。
 ずっと愛し続けて。
 愛される努力は怠らないわ。
 翠は陽の耳元で囁き彼の身体に腕を巻きつけた。
 誘われるまま、陽は重力に身を任せる。
 翠の背中に回された手がドレスのファスナーを下ろしていった。
 部屋の明かりが消える。
 吐息を交わす音が、部屋から消えることはなかった。



「新婚旅行、何処にする?」
「は? だって無理でしょう」
「お父様に頼んで、一日だけもらったから、
 土曜日は午後までだから、それから出発しても月曜日まで二泊三日行けるね。
 君の夏休みまで二ヶ月だ。それまで頑張らなきゃ」
 すらすらと喋る陽に翠はぽかんとしたが、すぐに気を取り直した。
 さすが、同類だ。中々強かだわと。
「……もぅ、私の出番、持って行くんだから」
 翠は頬を膨らませて見せた。
 少し悔しかったが、逆に嬉しかった。
 義父と婿の関係は上手くいっているようだ。
「義親子のコミュニケイションってことで大目に見てあげる」
「……ありがとう」
 陽が翠の夫として医師として期待を裏切らないよう頑張ればいい。
 声に出さないその期待に応える義務と、自分だけの権利。
 それが己にはあるのだと彼は感じている。
 自分でこの道を選んだ。
 妻の実家の経営する病院で、翠の父(自分とは義父にあたる男性)
 と一緒に働かなければならない。
 プレッシャーがなかったわけでもない。
 実習先が、藤城総合病院だったのが運命だった。
 翠という運命に出逢えたことは人生にとって必要なことだったのだ。
「何か、疚しいことでも考えているのかしら?」
 真顔で顎をしゃくる陽に翠が、にやりと笑って首を傾げた。
「翠に関すること考えてたよ」
 これ程適切な表現はないだろうと陽は思った。
 フッと眼差しが鋭くなると翠は吸い込まれるように見つめた。
「あら、奇遇ね。私もよ」
 ふわりと首筋に腕を回して抱きつく。
 力強く背中を抱く腕がするりと抱き上げる。
「翠……」
 陽は抱き上げた翠に唇を重ねる。
 交わした口づけは甘く、切なかった。
 力の抜けた翠は、そのまま陽に身を任せた。


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