とても泣きまねには思えないんだけど。
 涙を隠すように顔を伏せて、嗚咽を堪えている姿のはかなさときたら、
 守ってあげたくなる。
 ぐさぐさと毒を吐く彼にこれ以上言っちゃだめよと手でばつ印を作って示した。
「沙矢ちゃんは、優しいのね。うう……愚弟と大違い」
 めそめそ、ぐすぐすと泣いている妙齢の女性の背中をぽんぽんと撫でる。
「一体何をしに来たんですか。特に急用ではないですよね」
「青……じゃなくて沙矢ちゃんに会いに来たに決まってるわよ」
言い直したお姉さんは、伏せていた顔をあげた。
 妙にすっきりとした表情で、お化粧も崩れていない!
 少し目元が潤んでいるようなのは目の錯覚だろうか。
 この場に吹き荒れる猛吹雪は、青からかもし出される空気だ。
 せっかくエアコンのスイッチをオンにしていても、凍えてしまいそう。
「せ、せい、もう許してあげて! お姉さんは悪気なんてないのよ。
 私に会いに来てくれたからって嫉妬しないで」
 振り返り告げると腕を組んでいた彼が、
長い両足を組み替える光景を目にした。
 魔王だ。陽香の言っていた意味とは違う気がするが。
「沙矢、こっちへおいで」
 指を動かして手招きされ、吸い寄せられてしまう。
 彼の側に戻ると、抱き込まれ、顔を上げられないように腕で押さえられる。
 ちょっと苦しい。
 香水の匂いではなく彼自身の纏う匂いが、体温が、伝わってくる。
「嫉妬だと。馬鹿馬鹿しい」
 家族の前での青は不器用そのものなんだ。
 いとしくなって、かわいいとさえ感じる。
「見え透いた嘘泣きで、純真な沙矢を陥れた挙句、
 手玉に取ろうとした中年に用はないのでお帰りください」
「大人だから許してあげるわ。
 歳の離れた弟の悪態なんて痛くも痒(かゆ)くもないもの。
 沙矢ちゃん、今度は家(うち)に遊びに来てね! 」
 彼の腕の中、ちら、と顔を覗かせると彼女は、凄まじい笑顔を浮かべていた。
 私への言葉だけ語尾を弾ませ楽しそうな様子だった。
「は、はい! 今日お会いできて嬉しかったです」
「うふ。早く姉と妹になりたいわ……
 青の側にいてくれてありがとう」
 本当は、これを言いたかったのよ。
 最後の台詞は、ぼそぼそと小さな声だった。
 照れたように笑う彼女につられて笑った。
 バッグを手に立ち上がる翠お姉さまに、慌てて彼の腕を抜け出した。
 彼は、既に腕を解放してくれている。
「玄関まで送ります」
「ありがと」
 青は悪いと思っているのか、歩いていく
 私を止めるどころか一緒についてきた。
「今日は、来てくれてありがとうございました」
 小さく会釈する青の手をぎゅっと握る。
 とても嬉しかった。
「早く素直になりなさいよ。駄目な子。
 沙矢ちゃんに対しては手遅れにならなくてよかったわね」
 彼が、言葉をなくした。
 私は、ぺこっと頭を下げて後姿を見送った。
 何も知らないはずの翠お姉さまは、余裕たっぷりに笑って去っていった。
 エレベーターに乗り込む前にぶんぶんと手を振ってきたのは見逃さなかった。
   お昼が豪華だったので、夜は簡単に済ませ、ゆっくりと湯船に使っている。
 後ろから私のお腹に腕を回る腕。
 大きな青の身体に包まれているとひどく安心できる。
 泡風呂なのでまた後で洗い流さなければいけない。
「今日は、色々ありすぎたな」
 しみじみ呟く彼に、何とも言えず黙り込んでいたら、
「っ……な、なにして」
 泡にまみれた手が、下から胸をさわさわとまさぐっている。
 微妙な刺激に襲われて、吐息が勝手にこぼれる。
「楽しい愛の戯れでもなければ疲れが取れなさそうだ」
 自己完結だ。
「んん……っ」
 顎を指が掴む。深く唇が合わさり、脳髄が痺れる。
「ゆっくり話もできない……っ」
 キスの合間に息を整えて訴える。
「いいだろ。ピロートークで」
「明日は月曜日だからね。絶対にピロートークだけよ」
 いつも、したいわけじゃないでしょ。
 その意味を込めたのだが、彼は分かってくれたかな。
 やわやわと肌に触れる指を、掴んで押し止める。
「キスなら、何度でもして。だから……っ」
あれだけ気をつけていたのに、飲み忘れてしまったのだ。
「……ああ、飲み忘れたのか」
 キスで溶けそうだったけど、彼の鋭い指摘にぎくりとなる。
「じゃあ、部屋で続きな」
 角度を変えては繰り返されるから、心がざわめいて。
 気がつけば抱きついて、キスを返し、新たなキスを求めていた。
 キスだけと言ったら、唇以外のありと
 あらゆる場所にキスが、落とされた。
 感じると、力を使っちゃうんだ。
 ぼんやり、彼に抱かれてお風呂から出るときに思った。
 限界寸前まで高められ意識が飛ぶ寸前だった。
 彼は何でもなかったように素の顔を取り戻していたが。
 部屋に戻ると、私はぼんやりシーツに沈んでいた。
 そして、油断した瞬間に、秘所に焦熱があたり、声を上げそうになる。
 濡れそぼっている場所は、彼をあっけなく飲み込んでいく。
「っ……早くない!? 」
「お前を待たせるほど愚かじゃないから、避妊は俺に任せておけ」
 何も言い返せないまま、彼を見上げて首に腕を絡める。
「っ……あ、あ! 」
「俺も持たない……」
 生み出されるスピードは、猛烈で必死で背中にすがる。
 同じように腰を揺らして、彼を感じ取るために瞳を閉じる。
 頂きを吸われたせいで、締めつけてしまったらしい。
 顔をしかめ、呻いた彼は、更にスピードを早めた。
「だ、だめ……い……やっ」
「沙矢が食らいついてくるから悪いんだぞ」
 足を絡めていた私だったけど、それが彼を追い立ててしまったらしい。
 最奥を突き上げられ、熱が爆ぜる。
 出て行く瞬間まで、背中を抱きしめていた。
 うつぶせた状態でいると、窮屈だ。
 上向けの体勢になれば、腕が回り引き寄せられ、
 たやすく眠りに導かれてしまいそうだった。
 このふわふわとした感覚は、寝てしまえば消えうせるだろうけれど。
「無理しちゃって。胸でかいとうつぶせは苦しいだろ」
「な、だいじょうぶよ」
「ふうん」
「私、青のご家族に会えて、ぐっと近づけた気がしたの。
 不透明だった視界が、クリアになった」
 ふふ、と笑う。
「そう言ってもらえるとありがたいが。
 これから色々大変かもしれないぞ」
「青と過ごして、堪えられる力身についたから平気なの」
 静寂が、支配する。
 応えてくれない彼は、何を思っているの。
 くるりと、上向けになったら、青の顔が意外に近くにあって声が出そうになった。
「失礼な反応だな」
「応えてくれないの? 」
 はあ、とため息が聞こえた。
「無邪気に止めを刺して来る。お前には一生かないそうにもない」
 ぽふ、と抱き込まれた。
 私、あなたに勝てたことあるのかな。
 すう、すうと聞こえてくる寝息に、珍しく彼が先に眠りについたことを知った。
 朝が来て、二人で朝食のテーブルに着く。
 藤城青さまは、本日も異様な爽やかさだ。
 朝日さえ味方につけてきらきら輝いている。
 何故、わざわざ、ネクタイを結びながら歩いてくるのか、未だに分からない。
 私は自然と、釘づけになってしまう。
「結婚する前に、もう一人報告しなければいけない人がいるの」
「お父さんか……? 」
「そう。お墓参りに一緒に行ってほしいの。
 お母さんにタオルも返しに行かなきゃ」
「ああ、分かった。次の週末あたりに行こう」
 携帯のカレンダーに、メモをする。
「今日は新しい部長が来るのよ……」
「ああ、いなくなった奴の穴埋めだな。
 今度はまともであることを願う……沙矢も色目使うなよ」
「つ、使うわけないでしょ! 」
「食事中に立つな」
 立ち上がり、拳を握った私に対し、いたって冷静に対応する。
 彼は、コーヒーカップを傾け、
 カップの隙間からこちらを観察していた。
 ぷるぷるをおさめ、座った私は、こほんと咳払いした。
「誰も彼も疑ってかかってたら、仕事に差し支えるわ」
「正論だ。ごちそうさま」
 食器を載せたトレイを手に立ち上がる彼に続いて私も席を立った。
 送ってもらい、手を振って一時の別れを告げる。
 帰りの時間が合わない時は、バス停まで
 陽香に付き合ってもらうことになっている。
 事情を知っている彼女は、快諾してくれた。
 デスクに座るとその彼女が、近づいてくる。
「ここ、寝癖」
「ふえっ。ど、どこ」
 さっ、とハンドミラーを出して確認するが、見つからない。
「なんてね、うっそー」
「朝から、人をからかって遊ばないで」
「からかい甲斐があるんだもの。青さまもそう思っているんじゃない」 
「青は本当に青さまなのよ? 」
「あら、沙矢、知らなかったの?
 藤城って有名じゃないの。私も最初聞いた時驚いたけど」
「青が藤城家の御曹司だって知ってたの? 」
 あっさり頷いた親友。
 知らなかったのは私だけだった。 
  「分かってたから、青さまってお呼びしてたのよ。
 もちろん、単に慕っている意味合いもあるけどね」
「そ、うですか」
「今更彼の素性を知ったからって、何か変るの?
沙矢は藤城家の人間だから、彼を愛したの? 」
 真摯な瞳に、違うと首を振る。
「青がどこの誰だって関係ないわ。
 生まれなんかを気にしたことなかった。
 彼自身が大好きなんだもの」
 きっぱりと告げた。
「でしょう」
 彼女は椅子を自分の机の位置に戻した。
 私も仕事の準備をはじめる。
 新しい部長は昼休みに、挨拶に訪れた。
 業務時間に訪れないのは仕事に差し支えないためと、
 自分の部署の人間と少しでも交流をしておきたいからと説明した。
「親会社から派遣されてまいりました櫻井創です。よろしくお願いします」
 清潔感のある長身の男性。年齢も意外に若い。
 私のデスクにまで来た彼は、はじめましてと握手を求めてくる。
 目礼し、手を差し出した。
   櫻井部長は、その日の内に部署の面々から絶大なる信頼を勝ち得ていた。
 仕事の指示も、ミスに対するケアも隙がない。
 柔和な彼は、怒りを表面に出す事はなく
 常に対等で、フレンドリーに接するが、厳しい所は厳しい。
 来たばかりで慣れていないはずだが、微塵も感じさせない。
「すごい人が来たわね」
「う、うん」
 前の部長より、信頼されているとは、陽香も感じたことだろう。
「今までと同じには行かないわよ。気が重いっ」
「声が大きいわよ」
 親友は、私が思ったことをさらり、口にした。
   




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