「お帰り、久しぶりだね、青。確か前帰ってきたのが半年前だったかな」
「そうですね。お父様」
 やっぱり、お父様って呼ぶんだ。
 お父さまが、向かいのソファに座ると、私も改めて座り直した。
  彼は、座ったまま、姿勢を整えていた。
 すらりと長い足を組むこともなく伸ばした姿は、本当に綺麗だ。
 視線の強さに怯みそうになるけど、青は怒っているの?
「そんなに睨まなくても愛息の大事な人を盗ったりしないよ」
「へ、えええ! 」
 素っ頓狂な声を上げた私を彼が抱き寄せる。
「彼女は冗談通じないので、やめてください」
「真面目でいいじゃないか。見習うべきだよ、青」
 軽い調子のお父様に対し、隣に座る超絶美形は憮然とする様子を見せていた。
「お父様は正装なんですね」
「ああ。休日診療があるからね。
 担当医以外は来てないんだが、院長は顔出さないと」
「か、かっこいいです」
 もっと、とっつき辛い人かと思っていた。
 こちらを緊張させない気さくな人というのが第一印象だ。
 常に朗らかに笑っていらっしゃるし、温和な雰囲気。
「ありがとう。あの日、取り上げた女の子と
 愛息の結婚相手として、再会することになるとはね」
「昨日母に聞くまで何も知らなかったんです。もっと早く知っていれば」
 それより、予定変更したために、手土産がないだなんて失態だ。
「あの、すみません。手ぶらで来てしまって」
「そんなこと気にしなくていいんだよ。
 青が結婚してこの家に帰って来てくれるのが、一番のお土産なんだから」
 今、何とおっしゃいました!?
横に座る人を仰ぎ見れば、無表情になっていた。
「勝手に話をしないで頂けませんか。
 具体的なことは決めていないんです」
「いずれは帰って来てくれる約束だよね。
 誰も結婚に反対なんてするつもりはないんだから。
 いや、寧ろ沙矢ちゃんが一緒じゃないなら帰ってこなくてもいいよ」
「あの、えーと」
 困惑する。
 私、既に気に入っていただいてるみたい?
「とりあえずは、沙矢を認めてくださった事はお礼を言います」
 その一言を残し、彼は私の腕を引いて立ち上がった。
 お父様は、座ったままこちらを見ている。
「昼食、食べてないなら食べていきなよ」
 気軽に言われ、肩の力が抜けた。
「それでは、お言葉に甘えさせてもらいます」
 青が、帰ると言い出さなくてほっ、と胸をなでおろした。
 昼食を勧めてくださったお父様は既に仕事に戻られていて
 青と二人だけで広いテーブルに座っていた。
 ぴかぴかに磨き上げられたテーブルに、料理の皿が並んでいる。
 どれもこれも一目で手の込んだものだと分かる。
 全部、操子さんが一人で用意したというから、尊敬してしまう。
「今日は、青坊ちゃまが、フィアンセのお嬢様と
いらっしゃると聞いていたので
 はりきってご用意させていただきました」
 おどけて、言う操子さんに、うるうると涙が出てきた。
 こんなに素敵なおもてなしを受けていいのかな。
 私、場違いじゃないの?
「ど、どうされましたか、沙矢様!? 」
 すかさず青の指が伸びて頬の滴を掬う。
 赤らんだ顔で、ゆがんだ視界で二人を交互に見た。
「感受性が豊かなんですよ。
 恐らく、嬉しさと戸惑いと色々な感情で揺れているんだと思います」
 青が、私をそんなに理解していることに衝撃を覚えた。
 ちゃんと見てくれている。感じ取ってくれてる。
 ハンカチで頬を拭う指に涙が止まらなくなった。
  「操子さん、ありがとうございます。
 何だかもったいないのでゆっくりいただきます。
 あと、レシピ教えてください!
 自分でも作ってみたくなりました」
「ええ、もちろん。お教えしますよ」
 ぱあっ、と花が咲いた気分だ。
 泣いたと思ったら次は満面の笑みを浮かべる私、気持ち悪いかな。
 いただきます、と二人同時に手を合わせた。
 操子さんは、頭を下げると部屋を出て行きまた二人きりになった。
 味の濃さもちょうどよく、バランスが取れた内容の食事。
 愛情がこもったお料理の数々だった。
 食事を終え、お茶のお代りをティーポッドから注いでいると
「どこまで好きにさせれば気が済む」
 いきなり呟かれて、きょとんとする。
「え、何それ」
「ゆっくりいただくって宣言、やたら可愛かった」
 チュ、と頬にキスされる。
 真剣に言われると恥ずかしくなってきた。
「言いたいと思ったら口に出てたの」
「いいんだよ、お前はそれで」
「うん」
「さて、そろそろ帰るか」
 三時間くらい滞在しただろうか。
 あっさり、そう言われ、残念な気持ちが心にわだかまる。
 そして、ふと気づいた。
「青、ここに長居したくなくて後回しにしたの? 」
「ああ」
 即答ですか。
「まさか、私が作ったお菓子をお父様にあげたくなかったとか
 ……いくらなんでも考えすぎよね」
「考えすぎだが、ある意味当たっているかな。
 これからいくらだって沙矢と接する機会はあるんだから、
 最初はもったいぶっておかないと」
「えっ」
「次は、手ぶらで帰らなければいい」
「そうよね。青にリサーチしてお父様のお好きなものを聞いておこう」
 ぐっ、と拳を握るそばで彼が苦く笑う。
 深く息を吸い込んで、語り始めた。
「俺はこの家から逃れられない。
 言うのが早いと思って言ってなかっただけで
 いずれは、お前に言わなければならなかった。
 父に言われるまでもなく言うつもりだった」
「藤城の家に帰って、病院を継ぐってこと? 」
「いずれはな。家に帰るのはもうすぐだが、
 継ぐのはずっと先だ。
 それこそ父がいなくなってからのことだから」
 ことん、と彼の肩に頬を預ける。
「ん。あなたについていくわ。
 私には側にいるしかできないけど」
 撫でられる髪。彼は、心底嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう」
 私は彼の行く先になら、信じてついていける。
 結婚だって、一緒に暮らし始めた時に夢見ていた。
 いつまでも側を歩けることを。
 玄関ホールを歩いていると、操子さんが足早に現れた。
「青坊ちゃま、帰られるのですか? 」
 少し寂しそうな操子さんに、ぺこりと頭を下げる。
「今度はもっとゆっくり帰ってきます」
「お待ちしています」
「父をよろしくお願いします」
「はい」
 お別れの挨拶をして藤城邸を後にした。
 マンションへたどり着くと、青の駐車スペースの
 となりに見慣れない車が停まっていた。
 ここは、いつも空いていたはず。
 誰が来ているのか不思議に思いながら、
 エレベーターで部屋へと向かっていった。
 青の腕に腕を絡めた格好だ。
 エレベーターを降りると、扉の前で誰かが立っていた。
 肩につくくらいの長さのセミロングはウェーブがかかっていて、
 近づくにつれ、曖昧だった輪郭が、しっかりと浮かび上がる。
 くるり、こちらを振り向いたその人は開口一番怒りの言葉を投げつけてきた。
 ぷりぷり怒っている姿も、何だか可愛らしい。
「昨日あんなに楽しみにしてたのに約束をふいにしちゃうんだから」
「こ、こんにちは……」
「わざわざ来なくても、その内伺う予定でした」
「その内っていつよ。青は……まったくも……あっ! 」
 突然こちらに気づいた彼女が、目をきらきらと輝かせた。
三人分のマフィンは、操子さんとお父様と翠お姉さまの分だったのか。
 青に聞こうと思っていた謎が解けた。
  「沙矢ちゃんね! 初めまして。
 お電話で話したわよね。青の姉、翠お姉さまです」
「は、初めまして! お会いできて嬉しいです。ゆ、夢見たい」
 しなやかな手が、私の手を掴んできてドキドキした。
 高2の子がいらっしゃるとは思えない!
さすが青のお姉さま。年齢を感じさせない美しさだわ。
 そんなに歳が離れているようにはとても見えない。
 香水なのか、甘い香りがして、女を感じた。
「あら、そんな。まあ、ふふふ」
「……しょうがないからどうぞ。
 待ってくれていたようですしね」
 愛想のかけらもなく応じた青は、扉を開けて翠お姉さまを中へと誘った。
 リビングへ案内して暫く待ってもらうことにした。
 コーヒーは砂糖なしで大丈夫らしい。
 部屋に荷物を置き、洗濯機を回してリビングに戻ったら
 喜色満面の翠お姉さまが、がばっ、と抱きついてきた。
「沙矢ちゃん、想像以上に可愛くてたまらないわ。
 何でこんな清楚な子が、青の彼女になってくれたのっ」
 凄まじい勢いで耳元で言葉が紡がれる。
 顔を離し、正面から見つめられると艶やかな美貌にくらくらした。
「み、翠お姉さまこそ、お綺麗で驚きましたっ。
 本当に高2の男の子のママなんですか!? 」
「そうよ。正真正銘17歳の息子のお母さんやってまーす」
 ソファに座っていても足が長いのが分かる。
 お父様もすらりと高い紳士で驚いたけれど、
 藤城家って皆背が高いんだ。
 皆並んだら圧巻だろうなあ。
「お姉さまは今日は何の御用でしたか? 」
 あ、あの、こんなに険あるお姉さまはないんじゃないかと思うの。
 青は、怖い笑顔をしていた。
 こんな顔見たことないような。
 顔の前でぶんぶん、手をかざしていたら、すかさず腰を引き寄せられた。
「さっき、藤城に行ってたでしょ。ずるいわ!
私には予定変更のことも教えてくれなかったじゃないの」
 青の顔を見たら怒りが再燃したのか、翠お姉さまは、キッ、と彼を睨んだ。
「ご、ごめんなさい!」
「いいのよ、沙矢ちゃんは」
「お前が謝る必要はまったくない」
 落ち着き払った彼の態度に、翠お姉さまはため息をついた。
「昔からそうなのよ。青は私だけ邪険に扱って。
 おしめだって替えてあげたのに、なんたる恩知らず」 
「そ、そうなの? 」
 横目で確認したら、小さく首肯した。
「ええと、何歳離れていらっしゃるんでしたっけ!?
私はこの間20歳になりました」
「……残酷な天然さだわ」
「沙矢、汚れたおばさんには、その真っ白さは毒なんだ」
「翠お姉さま、泣いてらっしゃるわよ」
 ポケットに入れていたハンカチをさしだすと、楚々とした様子で涙を拭う。
 お嬢様だ。まさしくこういう人をお嬢様っていうんだわ。
「……おばさんの嘘泣きに騙されるな」
 背中をとんとんと叩いて、慰めていると
青のウィスパーヴォイスが空気に溶けた。 
     




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