第5章



 リシェラはメイドや兵士の間をゆっくりと歩いてゆく。
 前も後ろもぴったりと守るようにガードされている。
 国内外から賓客を招いている今日は、いつもよりも警備が厳重で、
 いたるところに兵士が配置されている。物々しい雰囲気。
 リシェラはこんな時身分の煩わしさを感じる。平民の娘ならば
 家族でささやかなお祝いをしているはず。
 毎年毎年思う。静かに家族三人だけでお祝いしてみたいな。
 リシェラの胸の内なんて誰も知ることはない。
 華々しく飾られた空間の扉が開かれる。
 バースディパーティが始まろうとしていた。
 胸元に花模様のラインストーンが飾られら純白のドレス。
 一見すればウェディングドレスに見えるそれは、リシェラ王女によく似合っていた。
 足元は人形が履くようなベルトの着いた赤い靴。
 今日は化粧を施している王女は少しだけ大人びて見える。
 地位の高い貴族の青年が、何人もダンスの相手を申し込んでいるが、
 リシェラはやんわりとかわしていた。
 大変光栄なのですが私にはダンスを約束している者がいるので、申し訳ありません。
 にっこりといわれてしまえばしつこくできようはずもなく皆大人しく引き下がった。
   いつの間にかリシェラ王女の隣りというポジションを獲得しているのは従者。
 今日開かれているバースディパーティだけでなく
常にリシェラ王女の  側にいて忠実に仕えている。
 リシェラに取り入ろうと考えていた貴族の若者達は歯噛みしたい思いに駆られていた。
 あの仲睦まじさはまるで恋人同士だ。
 有り得るはずもないのだが、妙な想像を抱いてしまう。
 リシェラに気に入られ、王や王妃にも臣下として絶大なる信頼を得ている。
 あの従者は役得だ。やはり羨ましかった。
リシェラ王女は少年ディアンの前で自然に笑っている。
 他の誰にも見せたことがないだろう笑顔で。
 
「明らかに貴族の方々のご不興を買ってますね」
 ディアンは苦々しい思いでつぶやく。
「大丈夫よ」
「本当にどなたとも踊られないんですか?」
「特別な一人と踊るからいいの。誰とでも踊って変に気を持たせちゃ失礼でしょう」
「それが俺?」
「あ、俺って言った」
 クスクスと笑うリシェラにディアンは気恥ずかしさで顔を赤らめた。
 時々、素に戻ってしまうまだまだ未熟な自分。
「王様や王妃様の許可がないと」
 ダンスの相手を臣下が務めるなんて前代未聞である。
「心配ないわ。私には未だ特定の誰かはいない。
 将来を約束したフィアンセがいるわけじゃないのに、どうして
 見知らぬ誰かの腕を取らなければいけないの。誰にも気を使う必要ないじゃない」
「リシェラさま」
 ディアンは返答に困った。
 切ない瞳で、わがままを言う王女の姿に戸惑う。
「踊れなかったらリードしてくれるんですよね」
 ディアンは思わず念を押していた。
「ええ、勿論よ」
 次のBGMが流れると同時にディアンが跪き、手を取った。
 姫を守る騎士さながらに。
 リシェラは白い手袋を嵌めた手を差し伸べられた手の平に重ねて瞬きした。
「誕生日おめでとうございます」
「ありがとう、ディアン」
「何だか別人みたいですね」
「馬子にも衣装って?」
「いえその、お化粧が」
「ディアンの顔、真っ赤よ」
 指摘するリシェラの顔も朱色に染まっていた。
 照れているのが、お互い分かった。
「ドレスも靴もすごく似合ってます」
「嬉しい」

 ゆっくりとステップを踏んでダンスが始まる。
 リシェラは、ディアンがたどたどしくも必死でこちらに合わせているのを
 感じて嬉しくなった。時々足が縺れかけても平静を装う。
 ディアンも冷静さを保とうと自らに言い聞かせていた。
 折角の誕生日を台無しにしてはならないのだ。
 ダンスは初めてだ。
 貴族でもなければ平民の家の出身のディアンは、
城に来るまで作法の一つも知らなかった。
 ギブソンという城に長年仕えている男に
 毎日叩き込まれ、自分で努力し身につけた臣下としての心得。
 王女に好感を抱かなければ、自分は変らなかったとディアンは思う。
 くるくると回る視界。
 リズムの遅い曲だから、テンポも遅い。
 王女と唯一人の臣下はゆるやかに踊り続ける。
「ディアン」
「何ですか」
「夢みたいだわ、踊ってくれるなんて」
「踊んなきゃ恨まれそうでしたから」
「そうね、当たってるわ」
 クスクスと笑い合う。
 最初はダンスをするのが嫌だったディアンも今では、すっかり
 嫌じゃなくなっている。不思議なものだ。
 リシェラは大きな瞳を瞬きさせてディアンを見つめていた。
 互いに腕を回しているので二人の距離はゼロに近い。
 ホールの真ん中で踊り続ける王女と臣下の姿。
 現在踊っているのは彼らだけ。
 バースディパーティの主役は、とても幸せな夜を過ごしていた。
「リシェラは本当にディアンがお気に入りなのね」
 穏やかな眼差しで見つめているのは王妃セラ。リシェラの母である。
「ディアンも随分変りました。城に来たあの日から考えれば
 成長したものです。リシェラ王女も笑顔が増えましたし」
「最高のパートナーなのかもしれないな」
 王も微笑ましい目でリシェラとディアンを見ている。
 セラの瞳に翳りが帯びた。一秒にも満たない間だったが。
 王ではないどこか遠くを見て複雑に笑う。
「主と従者でなければ、良かったのに」
「あの二人は兄と妹のように見えるが」
「これからどうなるかは分からないわ。
 だって似てるんだもの」
 王は無言で目をそらした。ギブソンはとうに後ろに下がっている。
「セラ」
「リシェラがどんな選択をしても応援するわ。
 大切な娘の流す涙なんて見たくはないのだから」
 王妃は、気高く微笑んだ。
 王は何も言えなかった。
 BGMの曲が終わり、ダンスは終ったようだ。
 リシェラが、ディアンの手を引いて用意された席に戻ってきた。
「楽しかったわ」
「リシェラ様を独占しちゃってこっちは後が怖いんですよ」
 ディアンは嘯いた。冗談という証拠に心底楽しそうな顔だ。
「リシェラ、素敵な誕生日になったかしら」
「ええ」
 セラは瞳を細めている。
「よかったわね」
「ディアン、ありがとう」
「え、そんな」
 ディアンはすっかり恐縮している。
「これからもリシェラの側にいてやって下さると有り難いのだけれど」
 軽く一礼をされ、ディアンは焦った。
「は、はい」
「お母様……」
「わがまま言ってディアンを困らせては駄目よ、リシェラ。
 主だからって何でも許されるわけではないこと、分かるわね」
「分かってます」
「おやすみなさい、リシェラ」
 セラはリシェラの頬にキスをした。
「お母様も」  何だかくすぐったい。
 こんな風に触れられたのは何年ぶりだろうか。
 リシェラは確かな温もりを感じた。
(私はちゃんと愛されてる。まだ知らない何かはあるけれど)
 ダンスを踊っている最中密かに視線を彷徨わせていた。
 傍目には仲睦まじく映る王と王妃の姿だが、
 娘のリシェラの目には二人の関係が時々酷く曖昧に見えた。
 溶け合えない空気の違い。
 セラは、王の隣りを歩きホールを後にした。
「それではお休みなさいませ、リシェラさま」
「おやすみなさいー」
ギブソンはリシェラにとって祖父のような存在だ。
「お部屋まで送りますね」
「うん」
 リシェラが歩き出すのを待ってディアンはその後を歩く。
 話をするのは専らリシェラで、ディアンはその話を
 より盛り上げて。他愛もない会話ばかりだが、二人の
 顔から笑みが消えることはなかった。
 夜も更けていることもあり、声は小さめだったが。
「ディアンのお誕生日いつ?」
「いつだったかな。7月だとは覚えてるんですが」
リシェラは言葉を失った。
 軽い事実ではないのにあまりにもさらっと口にした彼に。
 口元を押さえて立ち止まる。
「ごめんなさい……」
「気にしないで下さい。
誕生日がすべての人間にとって等しく嬉しい日だとは限らないというだけです」
 そんな言葉を言ってしまう理由が、あるのだろう。
 リシェラは鼻の奥がつんとした。
(私が泣いて彼が喜ぶはずもない。こんな身勝手な涙が)
「ディアン、7月1日をお誕生日にしましょう?」
「覚えてないのなら問題ないわよね!今までの分も合わせて
 お祝いしましょ。プレゼントも楽しみにしててね」
 強引に押し切るリシェラに、ディアンの喉の奥から含み笑いが漏れた。
「強引ですね。さすがわがままプリンセスだ」
 リシェラは頬を高潮させた。ディアンの表情が悪戯めいていた為に。
「む、失礼ね」
「我が姫のお気に召すままに」
 にっこり。いつしか抗うことなんて忘れてしまった。
 どうしたんだか。変りゆく自分に時々ついていけないとディアンは心密かに思う。
 だが、このお姫様以外の前では以前の自分のままなのだろうことははっきりしている。
「ディアンの欲しいものってなあに?好きなものとか?」
 リシェラは頭をすっかり切り替えた。
 頬を緩めてディアンの顔を覗きこんでいる。
「リシェラさま」
「えっ!?」
「冗談に決まってるじゃないですか」
「ディアン!」
「生真面目ですね、リシェラさまは」
 リシェラが思わず声を荒らげたのに対し、ディアンはしっと自分の口元を人差し指で押さえる。
「もう城中が寝静まっている時間ですよ」
 リシェラははっとした。
 離している間にもリシェラの私室の前まで辿り着いていて
 ディアンが部屋の扉を開いて、中へと促す。
「今日はお疲れ様でした。よく休んでくださいね」
「ディアン、とってもかっこよかったわ。ほんと楽しかったなあ」
「リシェラさまのフォローのおかげです」
 リシェラが照れたように笑うのに、ディアンも自然と笑みが漏れた。
「「おやすみなさい」」
   二人同時に発した後、おかしくて仕方がなかった。
 リシェラは部屋の中に入っても扉に凭れて笑っていたし、
 ディアンも自室の中で笑いを堪えていた。
 その日以降、リシェラが、うさぎのぬいぐるみを抱いて泣くことはなくなった。
 翌朝、チェストからいなくなっているうさぎにディアンは驚いた。
 卒業したの。というリシェラの言葉に胸を撫で下ろした。
 もう彼女は独りで泣かないのだろうと。
 今はまだ何も知らない王女と臣下が、
 淡い想いを抱くのはそう遠くない未来。
 


第6章
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