sinfulrelations


命の花



朝からどうにも気分が悪い。
昨日、旅館を出て車に乗るところで私は気分が悪くなった。
マンションに戻った時治ってたから、一時的な物だったんだと思っていたけど、今朝、治まっていたかと思っていた吐き気に再び襲われた。
もしかして……。
「青……やっぱりまだ気持ち悪いみたい」
「大丈夫か?」
洗面台に向かい、込み上げる吐き気と戦う私を青は気遣う。
背中をさすってくれている。
「うん……多分」
「医者に見てもらった方がいいな」
「うん」
水道で口をゆすぎながら、青を見上げる。
安堵させてくれる笑みがそこにはあった。
「準備できたら出るぞ」
「分かった」
頷いて、私は部屋に戻る。
必要なものを鞄に入れて、服を着替える。
「赤ちゃんだったらいいな」
独り言を呟く。
自然と笑みが零れていた。


妊娠かもしれない。
喜びが浮き足立つ。
冷静でいようとすればするほどいられない。
そわそわと歩き回る自分が妙におかしい。
シャツのポケットを探っても、煙草は入っていないのに触れてしまう。
歩きながらジャケットを羽織って、沙矢の部屋の前に立った。
扉を軽くノックする。



「さーや」
ドア開いているのにノックする青。
何考えてるのか分からないんだから、もう。
「私もせーいって呼ぶわよ」
さーやってまた呼ばれたからお返し。
最近、癖になってるんじゃない?
「遠慮しとく」
ほら、嫌なんじゃない。
人にされて嫌なことを自分がやらないの。
「今考えたこと当ててやろうか?表情で分かったぞ」
「分かったんならいちいち言わないで。確実に正解してるから」
「俺の母親か、お前」
クスクス青は笑う。
人の言葉なんてまるで聞き流してる。
意地悪!
そうよ、私は隠し事もできないし嘘もつけないわよ。
顔に出ちゃうんだもの。
「青と一緒にいたら母性も芽生えるって物よ。
守ってあげたくなっちゃう」
あ、言いすぎだったかしら。
固まっちゃった。
私は青の顔を覗き込んだ。
「沙矢は面白いな、やっぱり」
「飽きないってこと?」
「そう」
即答された。
「勘違いするなって。お前に会って初めて飽きない存在というものを知ったんだからな?」
「ずっと一緒にいても、何回キスしても抱いても?」
「飽きるどころかいつでも側にいたいし、したくなるよな?」
あれ、私に問いかけてるのね。
意味深に笑う眼差しを見上げる。
「そうね」
「準備できたか」
「ええ」
「行こうか」
「うん」
さり気なく腕が伸びて私のハンドバックを持ってくれる。
嫌味じゃない仕草だ。


最近、沙矢は思わぬ反撃をしてくるようになった。
さっきの”せーい”だってそうだ。
やり込められてるだけじゃなくなったなと思えば少し寂しいが、
これぐらいでなければつまらないとも思う。


青が車の中から助手席のドアを開けてくれた。
「どうぞ、プリンセス沙矢」
悪戯に笑い、差し伸べられる手。
「ぶっ!……ありがとう、セイ王子様」
「噴出すな」
「だってこんな独裁者な王子様他にいないんですもの!」
「独裁者王子の隣に座る従順な姫もお前しかいないだろ」
「くっ、いけしゃあしゃあと。でも私も思った」
「お前もよく言うよ」
「なによー」
「ところでプリンセス、本日は観覧車で宜しいですね?」
「え、えっと」
言葉遊びに違いないけど、どう言えば……。
迷ってると青のすまし顔が濃くなる。
「多少のスリルは伴いますが、ジェットコースターというのもありますよ。こちらの方が到着も早いです」
何で今日はこんなに遊ぶのよー。
妙に浮かれてる感じ。
「じゃ、じゃあジェットコースターでお願いします」
「後悔しないんだろうな?」
青は口調を急に戻す。
相変わらず頭の切り替え高速なんだから。
「ええ、早く見てもらいたいもの」
私は迷うことなく、大きく頷いた。
「しっかりシートベルトを締めとけよ」
「うん」
青はエンジンをかけ、ギアを切り替える。
アクセルを踏み込むと勢いよく車は走り出した。
ジェットコースター級のスリルだわ……。
遠い目で感じながら、シートに体を預けた。
「すっごく青、楽しそう」
「そうか?」
「ええ、ものすごく」
しみじみと言ってしまった。
一見、冷静に見えるけど私以上にそわそわしてるのは青かもしれない。
「私、ちょっと寝させてもらうわ」
「寝られるのか?」
「意外に心地よい眠りに誘われそう」
笑うと、青が笑い返したのがルームミラーに映った。

夢を見た。
私によく似た女の子と青によく似た男の子が、それぞれの間を挟んで手を繋いでいる。
私は女の子の手を繋ぎ、青は男の子の手を引いて歩く。
不思議に思ったのは男の子と女の子が、同じ歳くらいだったこと。
4、5歳に見える子供たちは幸せそうに笑っていた。
近い将来の予知夢?
5年後、あんな風に子供の手を引いて歩いているのかしら。
幸せな夢の中を彷徨う私の顔は笑っていたと思う。

「沙矢、沙矢」
どれほど快い眠りについているのだろう。
何度呼びかけても中々起きる気配がない。
「……着いたぞ」
「……ま、待って!もうちょっとで子供の名前が……」
「何言ってるんだ?」
急に起き上がったかと思えば、喚きだした。
ある意味これも病的だ……。
「沙矢」
頬を小指でつついてみる。
時々引っ張ってみたりして。
「……ん」
身じろぎした後、うっすらと瞼を開けた。
「いい夢だったか」
「うん、そうなの!子供、出てきたのよ。双子の男の子と女の子」
「へえ」
「予知夢だったらいいね」
起きたばかりなのに妙に元気なやつだ。
しかも満面の笑みを刻んで。
俺もその夢見たかったな。
「それにしても惜しかったんだから。もうちょっとで夢の中の青と私が
子供の名前呼ぶところだったのよ。ああ、惜しかった」
心底、残念がっている沙矢を見て苦笑を浮かべてしまう。
「それは単なる夢か未来を欠片でも含んでいるのか、
どちらにしても嘘ばかりじゃないと思うが……そんなに焦るな」
「うん、私、数年後、あの子達に会える気がするから」
確信めいた物があるらしい。
「とりあえず信じてみるか」
「一緒に現実にしようくらい言ってよね!」
「言わなくても思ってるさ、それくらい」
納得するまで食い下がってくる沙矢。
些細なことでむきになる愛らしさはいつまでも変わらないで欲しい。
沙矢は俺の言葉に目をきょとんとさせた。
「下りるぞ」
「あ、うん」
俺が下りる時同じように沙矢も車を降りた。
外から開けるまで待ってはくれないんだな。
「青に甘えてばかりもいられないわ」
「俺は甘えられてるとは思ってない」
「ううん、それだけじゃないの。待つだけは止めたんだから」
待つよりも自分から歩いていくことの方がいい。
沙矢はそう言って俺の手を取った。
「楽しみを一つ減らしやがって」
笑いながら。
「甘過ぎる所よくないわよ?」
「本当はもっと甘えて欲しいくらいだ」
歩みを進めつつ、そんな会話をする。
父が経営する病院は藤城の家から少し離れた場所にある。
相変わらず馬鹿でかいな。
裏口の方から堂々と入ってゆけば、たまたま懐かしい人物に遭遇した。
「青、久しぶり」
「お久しぶりです、義兄さん」
白衣姿の眼鏡をかけているその人物は、姉である翠の夫、陽だった。
「こちらは、沙矢さん?」
「ええ、妻です」
「初めまして」
沙矢は丁寧に頭を下げていた。
「珍しいじゃないか、青が来るなんて」
「沙矢を見てもらおうと……義兄さん、内科なので」
「産婦人科じゃなくていいんだ?」
「あ、あの……」
「新婚カップルは産婦人科だろう」
あんた、邪すぎるぞ。
翠そっくりだ。
沙矢は恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「とりあえず内科でお願いします。見てもらえますか?」
「ああ、勿論、構わない」
「よろしくお願いします」
沙矢と二人で頭を下げた。
「ちょっと待っていてくれ。後で呼ぶから」
「分かりました」
義兄はそう言い歩いて行った。
準備を整えてくれるのだろう。
「ドキドキする。ただの食べすぎだったら人騒がせよね。」
「見てもらうに越したことはないだろ」
「そうだけど、食べすぎって言われたら恥ずかしいわよ」
「いいから落ち着いて座れ」
廊下に置かれている二人がけ椅子に沙矢を誘導する。
「ただの食べすぎだったら、ある意味俺にとって好都合だ」
「や、やだ。青の考えてることが分かっちゃった自分が怖い」
「お前も同じ気持ちってことだな」
「勝手に納得しないでよ」
ふっと笑い、口を閉じた。
沙矢の手を固く握ると微笑みを浮かべた。
それから看護師に呼ばれるまでずっと手を繋いでいた。



「沙矢さん、気分悪くなったのはいつから?」
「昨日です。でもすぐ治ったので一時的な物だと思ってました」
「そうか」
 お義兄さんは悪戯を企むような顔をした。
「産婦人科に行くべきだったね」
「そ、それじゃあ」
「食あたりや食べすぎで、胃腸が悪いわけじゃなかったから、恐らくは」
「本当ですか!?」
「産婦人科の方にも話通してあるから行って来なさい。看護師に案内させるから」
「はい、分かりました」
立ち上がり、ぺこりと礼をして診察室の扉を開けた。
「青、これから移動するからついてきてね」
あ、クールな顔をしてる。
「ああ」
ぺこりと頭を下げて看護婦さんが、どうぞこちらですと言う風に誘導してゆく。
産婦人科の診察室の前で止まり、扉を開けてくれた。
「待たせてばっかりね」
おどけて笑う。
「行って来い」
「うん」
診察の扉をゆっくりと開く。
「沙矢ちゃん、2週間ぶりだね」
目の前には青の父・藤城隆がいた。
驚きで目を見開いてしまった私である。
「あ、お義父さまじゃなくて……藤城先生ですね」
「いいよ、お義父さまで」
「産婦人科のお医者様だったんですか」
「そうだよ」
「この病院は私の祖父、青にとっては曽祖父に当たる人が、始めたんだ」
「長いんですね」
「私の時代で終らせるわけにはいかないと思ってる」
「青もそう思ってるんじゃないですか、勘ですけど」
「ああ、あれで結構家のこととか考えてるよ彼は。
愚かになりきれてたらこんなしがらみ放り出して逃げられたのにね」
ふと哀しそうに笑った義父様。
もっと自由に生きさせてあげたかったんですね。
「青は、そんな器用じゃないですよ。不器用で優しいですから」
「そうだね、君みたいな人と結婚できて青は幸せだよ。
そして僕も沙矢ちゃんが藤城に来てくれてよかったと思ってる」
胸がじーんとなる。
診察を受けに来ただけのはずがここまで深い話を聞くとは思わなかった。
「診察をするよ」
緊張はピークを迎えた。
呼吸の速さに驚いたかもしれない。

一通り、診察を終えてお義父さまはにっこり笑った。
「妊娠12週目に入った所だね」
「12週目……」
「今日が10月17日だから予定日は、4月の終わり位かな」
「4月」
私はただお義父様の言葉を反芻するばかりだった。
「おめでとう」
「あ、え……ありがとうございます」
「妊娠の兆候が見られたのは、新婚旅行帰りですけど
これってハネムーンベビーになるんでしょうか?」
嬉しいけど複雑な心境なのだ。
「ある意味ハネムーンベビーだね」
「そうですね」
はっきりと言われ、少し頬を赤らめてしまった。
「注意しておくけど、くれぐれも無茶したら駄目だよ?青にも言っておいて」
「あははは……って笑い事じゃないですね」
「そうだよ」
もう笑うしかないんだもの。
椅子がぎしぎしいうくらいお腹を抱えてしまった。
「赤ちゃんがびっくりするよ?」
「気をつけなきゃ」
「また藤城の家で会えるのを楽しみにしてるからね」
「はい、私も」
「藤城先生、ありがとうございました」
礼をして、扉を閉めて出てゆく。



笑顔の花が咲いていた。
目が眩むほどきらきらと輝いて。
「青……っ」
抱きついてきた体を受け止める。
「予定日は4月の終わりだって!今12週目なの!」
弾んだ声。
喜びの表現をする彼女の背を抱きしめた。
患者や、看護婦に見られただろう。
公衆の面前でこういうことをするのは、恐らく初めてじゃないか。
幾分残る冷静な意識で考える。
「ありがとう、沙矢」
最高に嬉しい報告だ。
沙矢は背伸びをして首に腕を絡める。
「何か照れちゃう」
「親父、何言ってた?」
「青、言ってくれたら良かったのに」
「いや、まさか院長じきじきに出てくるとは思わないだろう。
俺も待ってる間に義兄さんが来て聞かされたが」
「私だったから特別に……」
「だろうな」
「子供は俺が取り上げてやる」
同時に車に乗り込む。
「何だか恥ずかしいんですけど」
「親父やその他医者にやらせるのはごめんだ」
車の中、ちらりと沙矢を横目で見ると終始、笑顔だった。
部屋に戻ると、昼食の準備をしようとする沙矢を押し止め、椅子に座らせる。
「任せとけよ」
「じゃお言葉に甘えて」
テーブルに肘をついてワクワクして待っている沙矢に作った料理は、オムライス。
「好きだろ」
「うん」
俺には似合わないが、たまにはいいかもしれないな。


お休みと瞳を閉じる瞬間まで沙矢を見つめ続けていた。
もうすぐ、家族が増えるんだなと感慨に耽る自分がいたのだった。



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