睡眠不足



 その家は、実家からさほど離れていない場所にあった。
 年に一度もここへは来る事はないが、気まぐれで寄って見ようかと思ったのは何故だろう。
 柄に似合わず肉親の顔を見たくなったとかではない。
 チャイムを鳴らすと、暫く経って賑やかな足音が、
 聞こえて来て乱暴に玄関のドアが開け放たれた。
 恐らくレンズ越しに確認したに違いない。
「……せい兄」
「久しぶりだな」
 目を眇めて見やれば、相手は目を逸らした。
「どうしたの。急に来るなんて珍しいじゃん」
「時間が空いたから」
「あっ! ちょっと待てよ。勝手に上がるなっ」
立てかけられていたスリッパを履いてリビングに向かう。
 少し無作法な気がしたが、構わないだろう。
「今日はお前一人か」
「父さんは病院で、母さんは習い事かな。俺も出かけるところだったんだけど」
「タイミングが悪かったようだな。まあ、長居はしないから許せ」
「別にいいけど」
 ソファに腰掛けると、暫くしてカップが置かれた。
 無言で突き出されたそれは、紅茶が注がれていた。
「サンキュ」
 礼を言うと頬を赤らめて背中を向けた。
 相変わらず分かりやすく恥ずかしい。これで17とは信じられない。
 姉の息子、砌。俺にとっては甥にあたる存在だ。
 姉夫妻の家で、奴と二人きりになるのは珍しかった。
 ここを訪れる自体珍しいのだが。
「砌」
 名を呼ぶと驚いたのか、ぴたりと両足を揃えて静止した。
 硬直したかのようだ。中々面白いのでもう一度名前を呼びつつ話しかけた。
「砌、今年受験だろ」
「そ、そうだけど」
「正直、お前が医大とは意外だな」
 振り向いた砌は真剣な目を向けてくる。
「父さんや祖父ちゃんが白衣着て働いてる姿にずっと憧れてたんだよ。
   せい兄は? 」
 怯まず、目を見て話しかけてくる姿に、以前とは違う物を感じた。
 純なだけじゃなく、成長しているらしい。
 こちらも茶化さずに答えなければならない。
「既に敷いてあったレールの上を
 上手く歩くために今の職についたって所かな」
若干分かりづらい表現に、砌は、顔をゆがめ難しい顔をしたが、
 すぐに真顔に戻った。納得した風に頷いたので、顎をひいてやる。
「何でそんなにかっこいいんだよ……ずるすぎ」
 こつんと砌の頭上に拳をおく。
 口惜しそうに、呟く様がおかしくて仕方ない。
 フッ、と笑ったら、こちらを向いたまま、後ろに下がった。
「本当は、父さんに用があったの? 病院を訪ねればいいのに」
「今は勤務中だ。それに未だ時期じゃない」
 後者に対する発言にだろう、疑問符を顔いっぱいに浮かべた後、
「またいつでも来れば。じゃあな」
 照れながら笑った。
「頑張れよ」
 色々な意味をこめて伝えたら、小さく、頷いて二階へと上がって行った。
 若干の時間潰しにはなった。収穫もあったということにしておこう。
 俺は数十分の滞在の後、姉夫婦の暮らす家を後にした。
 

 お昼ごはんを済ませた後、ドーナツショップでお茶をした。
 皆ずっと歩いていたせいか昼食後の
 おやつもぺろりと平らげて、話にも華が咲いた。
 ずっと、いじられっ放しだったような気がして
 これでは、青といる時と変わらないとぼんやり思った。
   東京駅で電車に乗る友人たちを見送った後、聞き覚えのある声が私を呼んだ。
 毎日ではないが、幾度となく顔を合わせている相手。
「部長……? 」
「偶然だね、水無月さん」
 向かい合わせになりしっかり姿を捉える。
 その整った容姿と物腰に惹かれる女子社員も少なくないらしい。
 仕事だけの関わりと割り切っているので、そつなく微笑み会釈した。
「君の着物姿見れなくて残念だなあ。さぞかし綺麗だったろうに」
「上手いんですね、社交辞令が」
「本気だよ」
「彼の迎え待ってるのかな。僕が送ってあげてもいいけど」
 勝手に話し続ける部長の視線が、絡んで怖くなる。
 ふいに腕が上がったので、触れられるかと身を固くする。
 あの部長室での出来事は、未だに鮮明に頭と心が記憶している。
「結構です」
 後ずさりした所で、何か大きくて温かな物にぶつかった。
 振り仰いだ私の腕をしっかりと掴んで、腕の中に閉じ込める。
 この世界で唯一の、愛しい人。
 走ってきたのだろうか。少し息遣いが荒い。
「沙矢の上司の方ですか? 藤城青と申します」
 青は、部長に向かい合っているようだ。
 胸にぎゅっと押し付けられていて、確認できないけれど。
 いきなりフルネームで自己紹介している青に驚いた。
  「藤城……? 」
 部長が、青の苗字をぼんやり呟いていた。
初対面の相手に対し呼び捨てはどうかと思う。
「彼女と結婚を前提に交際しています」
 流石に誰が見ているのか分からない場所でこのままは恥ずかしいので
 離れようと体を突っ張るが、力強い腕は許してくれない。
 内心は動揺でいっぱいだ。部長の話をしていたから、
 彼は敢えてここで言うことにしたのか。
「上司と部下という立場を超えているのではないですか。
 少しやり取りを拝見させていただきましたが」
 えっ。いつから聞いていたのだろう。
 青の言い方が奇妙で、頭の中が混乱し始めた。
 それに、部長に呼び捨てされたのを、見事にスルーしている。
「……、失礼しました」
「いえ、こちらも取り乱してしまって申し訳ない」
 青の言葉は、無敵に棒読みだった。
「沙矢のことになると理性を失ってしまうようでね」
 何か、思い切り後が怖くなりました。
「私はただ水無月さんが心配で送ってあげようかと思っただけなんですが、
 藤城さんがいらっしゃるなら安心ですね」
「それはどうもありがとうございます。
 彼女があまりにも可憐なので私も心配ですよ」
 よからぬ輩にいらないちょっかいかけられたら不愉快だ。
 最後のぼそっ、は、確実に聞こえているはず。
 ぐいと肩を抱かれ、体が反転する。
 きつく繋がれた指から、痛みを感じた。
 いつもは歩幅を合わせてくれているのがよく分かった。
 彼のペースに従うままに歩いたら、ものすごい速度で世界が回転するようだ。
 無言の青に何もいえないままに、車に乗った時、深いため息とともに
 大きな体が覆い被さってきた。強い力で抱きしめられて背中が軋む。
「お前は本当に無防備だな。いっそ天才的だよ」
 低い声に、呆然となる。
「ごめんなさい」
「どこで待ち合わせるとか決めてなかったのも悪いんだけどな」
 そう。駅で会う約束はしたが、きっちり待ち合わせる場所を
 指定していなかった。彼が何度も鳴らしてくれただろう携帯は
 バイブにしていた為聞こえなかったのだ。喧騒にまぎれて。
「いっぱい探してくれたんでしょう。
 いつも涼しげなあなたが、息を切らしていたもの」
 少し茶化すように、笑ってみたら、抱擁が緩んで
 今度は包み込むように抱きしめられた。
 きゅん、と胸が疼く。彼に体温を届けてもらえて、体中が満ちていく。
「ありがとう」
「それでいい。謝られたら、攻めたくなるじゃないか」
 彼からなら、どっちのせめるも受け止められる。
 抱きついて、抱擁を返す。
 吐息をついたら、耳元で囁かれた。
「やっぱり、お仕置きだ。無駄に色気を振りまいた」
 私の体を離し運転席に腰を落ち着かせた青は、こちらがシートベルトを
 したのを確認すると、ゆっくりと車を発進させた。
 

 玄関で靴を乱暴に脱ぐと、壁際に私の体を押し付ける。
 いつもなら、内側に向けて揃えて脱ぐのに、今日の彼はおかしい。
 もちろん、私の靴だって下足場に横向きに倒れているけれど、
 細かいことを考える余裕はない。
 着ていたワンピースのボタンを外されて、彼の手のひらを
 肌の上に感じたときには、すべてが遅かった。
 彼が両足を私の膝に割り込ませて、がんじがらめに支配している。
 驚くほど熱い体に、おののく。
 強く絡んだ指先が、壁に繋ぎとめる。
 舌が上唇をなぞり、唇をこじ開けた。
 貪るような口づけは、荒々しくて、どこか切なかった。
 大胆に、舌を絡め合わせたら、すっと瞳が細くなり、指先が淫らに肌を辿っていく。
「……青……っ」
 彼のシャツの裾を掴む。
 今日は、仕事用とは違う、幾分カジュアルなジャケットとスーツに身を包んでいた。
 無造作に伸ばした指先で、ネクタイを解く。
「お前、大胆だな。俺好みだよ」
 唇をなめた青が、驚くほど扇情的な視線を注いできて
 心臓が、跳ね上がった。どくん、高鳴りがうるさくなる。
「私はいつだってあなただけの物だから」
 まっすぐに見つめて、擦れた声で呟く。
「俺もお前の物だ」
 あなた一人しかいないという気持ちをこめた。
 息を飲む。彼にしがみついたらそのまま横抱きにされた。
 抱き上げられ、廊下を運ばれていく。
 私の部屋のベッドに、すとんと下ろされた。
 膝をついた彼が、顔を覗き込んでくる。
 見つめて、吐息を吐く。
「沙矢は無意識に男を翻弄して心を奪うんだな。
 目をつけたのが俺だけじゃないのは、それだけ魅力的だってことか」
 青は言葉を切って、長い指で私の体を突いた。
 さほど強い力ではないのに、簡単にベッドに倒れこんでしまう。
 きっと魔法が使えるのだ。
 彼に操られるまま、瞳を閉じた。
 クス、口の端を吊り上げている彼の姿が、想像できた。
 欲しい。唇、甘い口づけ。
 大胆に、繊細に、すべてを奪われたい。
 胸の頂を衣服の上から引っ張られ、呻く。
 一瞬で、駆け上った電流はあっけなく静まった。
「キスしてほしかったんだろ」
 かあっと、頬に熱が集まる。きっと真っ赤に違いない。
 こくんと頷いた。
「じゃあ、どこにして欲しい。言えよ」
「どこでも。青のキスが、いっぱいほしい」
「無邪気に誘惑するのは、俺だけにしとけよ」
 微笑んで、抱きしめられた。
 彼の望む答えだった?
 唇だけじゃなくて、全身にキスを受け止めたい。
 自分の欲望が発した言葉に過ぎなかったのだけれど。
 髪に触れた手が頬を撫でる。
 私を確かめるみたいにやんわりと撫でられて、ほのかに心が温かくなった。
「許してやるから、思う存分俺ので遊べ」
 悪戯に笑う顔が信じられないほどえっちだ。
 青は次の瞬間、穏やかな態度を豹変させて、乱暴に覆い被さってきた。
 ぐいと手が掴まれて、導かれる。
 熱を持った堅い物に触れて、手を引っ込めそうになるが、強い力が許してくれなかった。
 体勢が入れ替わって、彼の上に乗る格好になった。
 膝の上で、生地を押し上げるソレにそっと触れてみた。
 されたくないのなら、決して触れさせようとはしないだろう。
 させたくないのは、私のことを考えてくれているからだ。
「あの……青」
 触れた場所から手を離して、彼を見上げる。
 少し逡巡して間が生まれてしまった。
「どうした。導いてくれるんだろ」
「私が、してもいいの? 」
 彼が、口にした過去。付き合っていた女性は、したことがあるという事実。
 させたくないと言ってくれて嬉しかったけれど、
 嫉妬する気持ちもあった。
 こんな風に考えていることを知られるのは怖かったから、
 躊躇いながら問いかける。
 私も、結局欲にまみれているんだ。
「しろよ。ただし、手ぬるくじゃなく本気でやれよ」
「ええ」
 彼も、彼の持つ器官も愛しくてたまらなかったから、
 もう一度その場所に手を伸ばした。
 



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