流星群
全面ガラス貼りの窓から、夜空を眺めていた。
一瞬で過ぎ去る星の流れは、儚くて綺麗で、
見逃さないように目を凝らしていた。
腰を抱かれ、肩にそっと頬を預けて寄り添う。
見つめ合うのではなくて同じ方向を見つめる。
こういうのも素敵だなと思った。
「……青」
「ん? 」
「何を願ったのか聞いてもいい」
「お前は? 」
にやり、意地悪に笑う彼が腰を引き寄せた。
知らず、頬が火照る。
上目遣いに見上げたら、視線が降りてきて胸が高鳴った。
「誰かに言ったら叶わなくなるのよね……聞いてごめんなさい」
「お互いに叶ったら分かるな」
こくり、頷く。
微笑みながら、瞳には涙の粒が溜まっていた。
いつかのように強がらなくてもいい。
星が綺麗なのと、青がやさしくて胸がくすぐったいから
泣いてしまった。それだけだから。
彼のシャツの背中に腕を回し、自分から抱きついた。
「お前が、こうして側にいてくれることが何よりの幸せだ。
素直になって、よかった」
心の底らの呟きに、くすくすと笑って涙が零れた。
ふいに顎を持ち上げられ、唇が頬を拭う。
涙が乾いても頬へのキスは止まなかった。
気障な仕草も自然で、彼だから似合うのだと思った。
「言うの忘れてたんだけど、今度成人式なの」
「いつ言うのか待ってたよ」
しのび笑う青に、恥ずかしくなる。
(そりゃ分かるわよね。次で20歳だって言ってるもの)
「それでね成人式の後、同級生の皆とご飯食べる約束もしたわ」
「アルコールは飲むなよ? 」
「わ、分かってる……」
未成年なのにワインを飲んだ前科があるため信用されていないのは分かる。
あの時は彼も止めなかったので、咎められる事はなかったけれど。
「誕生日来たら、いくらでも飲めばいいよ。
開放的になるお前が見たいからな」
「やっ……あの時の事は忘れてください」
「貴重な思い出はいつまでも胸の中に止めていたいんだ。
どうでもいいことはさっさと記憶から抹消できるんだがな」
さらっと、すごいことを聞いた気がする。
「下からお前を見上げるのもなかなか……」
口をぱくぱくと開閉させる。思い出に浸る青は明らかに楽しんでいるようだ。
恥ずかしくてじたばた暴れてしまう。
頬を膨らませたら指でつつかれた。
腕の中で激しく身じろぎする私を彼は難なく雁字搦めにする。
耳に息を吹きかけられ、首筋にキスを落とされて、くったりと力を抜いた。
彼に抱えられて、移動している。
「さっきから、俺を試しているのか」
「試してなんか……っ! 」
早く下ろしてほしい。
この雰囲気は危ういんだもの。
約束は容易く破らせないつもりだ。
背中を辿る指は、臀部まで降りようとしていた。
「っ……ん……駄目よ」
「そうだな。今宵は一緒に星を眺められた。
それだけで満足だ。とりあえず、後数日は待ってやろう」
恐ろしく妖艶な笑みだった。
下ろされた寝室のベッドの上、抱きしめられて眠る。
繋がれた指先の熱さに、眩暈を覚えるほどだった。
多分、彼の肌も同じ熱を持っているのだろう。
翌朝、コーヒーを啜る彼の目の前にランチプレートを置いた。
三つに区切られていて目玉焼きとウィンナーとトーストが載ったお皿。
ちなみにフライパンも同時調理できる優れものを使った。
(うん。日によって変えたら飽きが来ないわよね)
「式の後、皆で集まるけどすぐ帰るから」
もう一度ちゃんと言っておかなければ。
「式は何時からだ? 」
「11時からだけど10時までに会場に向かいたいの」
「送るし帰りは迎えに行くから」
「早い時間に解散するから地下鉄もあるし大丈夫よ」
個人的な集まりなので時間的制約はない。
「俺がそうしたいんだ。
せっかく一緒に暮らしているんだから」
「青の都合は大丈夫? 」
「仕事以外のプライベートはお前優先」
真顔で言われて、何も言えなくなった。
彼はとことん甘くなった。
甘えすぎないように気をつけたいと思うほどだ。
気持ちを手探りで確かめ合っていたほろ苦い日々が、
懐かしく思える。
まだ、彼と心身ともに結ばれて日は浅いというのに。
「信じられない……」
何を言っているんだろう。はっとする。
青は、とびきり甘い笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
テーブルに頬杖をついていたかと思うと立ち上がり、
私の椅子の後ろに回ってきた。
「何が? 」
くすくす、と笑って肩に頭を寄せられる。
ちら、と振り仰げば、背をかがめて、こちらの肩に腕を回している。
「えっと……今更掘り返すんだけど」
後でどう思われるかなんて、もうこの際無視だ。
ええい、ままよ!
すう、と深呼吸して口を開いた。
「青ってどっかのセレブ? 」
青が顔を寄せてきた。首つらくないのかな、その体勢。
低い呻き声が聞こえたかと思うと、くしゃっと破顔して笑い出した。
(あれっ、何か変なこと言っちゃったかな)
「どっかのセレブの愛人にでもなったかと聞かれたってことか」
やたらおかしそうだ。ううん、こんなに笑うひとだっただろうか。
少しだけ肩が重くなってきたと思ったら、重みが過ぎ去って彼が隣にいた。
「……うん」
「軽すぎだろ」
私までうっかり笑い転げそうになる。
引っ掛かりを感じたと思ったら、あの喋り方だ。
いい方に取るなら緊張しなかったことか。
仕事上の悪い評判はないので、プライベートで関わらなければいいということだ。
「自分自身でそんな風に思った事はない」
「そ、そうよね。自分で言わないわよね」
彼は部長が表現した通り、客観的に見たらセレブという部類なんだと思う。
そんなの関係なくて青が青だから好きなんだけれど。
「お前って掴めないな」
「そう?」
「言動が突拍子もないじゃないか。まだまだ本当のお前を見せてくれよ? 」
くすくすと笑われ、むうっと唇を尖らせる。
「はいっ」
お弁当を押し付けて火照った頬を誤魔化した。
頭を撫でて、耳元でありがとうと囁く彼に、朝から惑わせないでと思う。
たとえ肌を交わさなくても、心臓がいくつあっても足りないと思った。
「今日は、ハートのそぼろ弁当かな」
「お昼にお弁当箱を開けてみてからのお楽しみ」
嬉々とした様子が、何だか可愛い。
年上の男性に、そう思ったら失礼かな。
部屋を出て、駐車場に向かう青と一旦別れる。
外で待っていると、白いスポーツカーが颯爽と現れた。
運転席の窓が開いて、青が顔を覗ける。
風になびいた前髪をさらりとかき上げる彼に、指で手招きされる。
肩を引き寄せられ、唇が重なる。
「行って来ます。お前も気をつけて」
「うん。い、行ってらっしゃい。帰りはスーパーで待ち合わせね? 」
「ああ。本当は行きも送りたいんだけどな」
「甘えすぎるのは、よくないから」
折れない私に、彼は残念そうに笑って、車を走らせた。
地下鉄の駅までそう遠くない。
利便性もよく、喧騒からも逃れられる閑静な場所。
プライバシーの侵害甚だしいが、部長に訝しがられるのも無理はない。
地下鉄の階段は、ゆっくり上り下りすることにしている。
足早に通り過ぎる人達とぶつからないように気をつけながら。
ヒールのある靴を履いてなくても、
そそっかしくて見ていられないとは青の言であり、
助言をくれたのも彼だ。
いつかのように転倒して落ちたりしたら今度は無事ではすまないと思う。
人を巻き込んだらいけない。
あれは、非日常的な出来事だったのだ。
青は、何故あそこにいたのか、まだはっきりとは知らないけれど、
あの一瞬は、奇跡のめぐり合わせだった。
やっと二人で非日常から、本当に日常を始めた。
選んで、掴んだのは二人の力。
通勤ラッシュは、こんなにたくさんの人が、
今日も一日を始めるんだと実感する。
地下鉄に乗れば、会社までなんてあっという間だ。
移動がバスから地下鉄に変わって新鮮な気分だった。
「おはよう、沙矢」
「おはよう」
地下鉄の駅の出口を出て、会社へと向かう途中で
陽香と遭遇することが増えた。
ショルダーバッグを肩に掛けて軽やかに歩いてくる。
今日はバレッタでまとめている。
人ごみの中でお互いを見つけられるのって、心に明かりが灯るみたい。
「残念」
お互いに歩きながら自然と会話が始まるのが常だ。
会社に着くまでの短い時間のお喋りである。
返答を考えあぐねていると更なる言葉が紡がれた。
「平日だもんね。流石にそこまで野獣じゃないか」
「な、何言ってるの! 朝から」
食い入るように見つめられてもないし、
立ち止まって一瞬顔を合わせて歩き出したのだ。
どこから覚ったのだろうか。
むむ、と思い頬に手を当てる。
「そんなことしてると目立つわよ。沙矢はただでさえ有名なんだから」
「へっ。私の何がどこで? 」
「黙っていたほうが本人の為だから」
「ちょ……っとどういう意味!? 」
にこっと意味深に微笑んだ陽香は、足早に歩いて行ってしまう。
高いヒールでよくも転ばずにスマートに歩けるなと感心する。
そういう部分でも大人に感じて仕方がない。
同い年のはずなんだけど。
高い身長に構わずヒールの高い靴を履くのがかっこいい。
私の中で彼女はこびない人のイメージだ。
会社にたどり着き、デスクに座ると携帯の電源を切った。
パソコンを起動させている途中、ディスプレイに自分の顔が映る。
ほろ苦く笑うのではなく、自然に表情を和らげることができるのは、
力を抜いて過ごしているからだと思った。
駅に程近い場所にあるスーパーに入り買い物をしていると
いつの間にやら隣に長身が寄り添っていた。
「うわ……青」
驚いてしまったせいで、妙な声が出てしまう。
やはり彼は人目を引きまくる。何で、ずっと年上のおばあ様まで
こっちを見ているの!? 年上キラーにも程がある。
思考していた私は、青がこちらを見て顎をしゃくったのにびくりとした。
やばい。不味い。
「会ったばかりの彼女にそんな反応されて傷ついたな。後でたっぷり詫びてもらおうか」
語尾は、きっちりと私だけに聞こえるように耳元に囁いた。
甘く耳朶を掠めるウィスパーヴォイスに、頬が火照り、体がぞくりとする。
ここは、公共の場だ。幸い、側に人はいなくてほっとしたけれど。
「や、違うのよ! 急に側に立たれたら驚くでしょう。
声かけなくても、分かるけどかけてくれると嬉しいわ」
「悪かった。今度からは少し離れた場所で声を掛けよう」
紳士的な様子だが、私の手をさりげなく握っていた。
「お願いします」
青の大きな骨ばった手のひらに包まれて、手のひらが温まってくる。
ドキドキするしこれでは、商品を選びづらい。
「カートを押してくれる? 」
お安い御用だと青はカートを押し始めた。
重い物を買う時は彼に任せることにして、私が商品を籠に入れることにした。
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