鬼ごっこじゃなくてかくれんぼでよかったなんて、非常に脳天気なことを考えていたルシアだった。
 かくれんぼが得意と自負している彼女だ。
 城の中は、森と違い明るいし、広いが複雑に入り組んではいない。
 クライヴ特製の地図があるので迷うことも皆無だ。
「二時間なんていくらなんでも長すぎない?
 クライヴって甘いわね」
 くすっと笑いさえ零れる。
 ルシアは余裕たっぷりに階段を上がった。
 地下一階、地上二階に屋上がある。
 二階に、大広間があって王と王妃が使っていたという部屋があり更に書庫。
 延々と続く回廊には無数の扉がある。
 どこに隠れようかしらと、胸が高揚する。
「屋上とか」 
 ルシアは、階段を駆け上がった。
 古い城なのだが、作りが立派なので雨漏りや床が痛んでいたりすることもない。
 天井から埃が落ちてくることは頻繁だが。
 いわくつきの城だから、誰も住みたがらなかったというが、ちょっぴり
 勿体無いかもとルシアは思っていた。
 上に上がるに従いどんどん狭くなる。
 灰色の壁が迫っている気がした。
 壁にたてかけられた額縁には、歴代の王族の顔。
 こんな所に飾られているのがおかしいと違和感を覚えた。
 普段、人が行き来するような場所ではないから目立たないだろうに。
 ルシアは、立ち止まって目を留めた。
 男性の王族も女性の王族も表情に笑顔はない。
 名前と共に、飾られた画は、ある画を境に途切れた。
 そこで王族の歴史は終わりを告げたのだ。
 クライヴは、最近世界の歴史についてルシアに教えてくれる。
 いつどんな文化が生まれただの、国が分裂しただの
 知らない事柄は新鮮で、ルシアは、勉強するのが楽しかった。
 スフェルカは、王族が滅んで以来、王家を持たぬ唯一の国として世界に存在している。
 国の統治は、貴族が行っている。
 身分が高く、人格的にも優れた数名が国民によって選ばれた。
 貴族といっても王族ではなく、国民の代表という認識だ。
 飴と鞭を使い分けて枷を強いていないと見せかけて、その実国民を支配している貴族の面々。
 どうにか国が成り立ち傾かずにすんでいるのは、国民の努力による物が大きい。
一人一人が、自分の役割を見つけ、毎日を懸命に生きている。
 王家があった頃より国は豊かになった。
 王家が滅んだのも致しかたなかったという声さえある。
 今となっては。滅んだ王家のことなど好き勝手に言いたい放題だ。
 ルシアは、クライヴが個人的感情を交えず(当たり前だけれど)客観的に
 語ってくれたので正しく理解し、自分なりの考えも持つことができた。
 もうこの時代で、クライヴがいる世界で生きている。
 どんどん知って馴染んでも、生まれた時代への想いが薄れるわけではない。
 思い出さないけれど忘れないと決めた。
 私が生まれた事実がなかったことになっていても。
 屋上の扉を開けようと手をかけるも、中々開かない。
 どうやら長い時の中で取っ手が錆びついているようだ。
 悔しくてここで諦める気にもなれない。
 力任せに引っ張る。
 魔術でもこじ開けられないな。
 魔界でのことは、見て見ぬ振りをしてくれたみたいだけど
 今回は無理だろうな。
 ああ、無力って切ないと溜息をついた
 ルシアは、はたと、根本的なことに気づいた。
「私、扉を開ける魔術なんて使えない」
 クライヴは、ささっと開けてしまうだろう。
 魔術というほど大げさなものではなく魔力を使うだけなのかもしれないが、
 ルシアにはどうしていいかわからなかった。
 応用を利かせることもできない。
 無言で立ちはだかる扉が恨めしい。
 うーんと唸った。力任せに引っ張る。
 体の角度も無意識に傾いていた。
 傍から見れば滑稽な姿だ。
 クライヴに見つかったら鼻で笑われる。
「あら」
 するっとドアノブが回転する。
 うんともすんともいわなかった扉がいきなりぎりっと錆びた音を立てて開いた。
 薄く開いた扉をルシアは大きく開け放って屋上に飛び出す。
 屋上には手摺もしっかりと備えられている。
 ここから、王家の人間が街を見下ろしたのだろうか。
「奇跡って起こるものね」
 るんるんと心が弾めば足取りも軽くなる。
 走り出してしまったルシアは、危うく足を踏み外しかけた。
「ひゃあ」
 歩いていた床が崩れてぽっかりと穴が開いている。
「ふぅ危なかった」
 そろりそろり忍び足で歩き始めた。
 この分だと手摺に身を乗り出した途端崩れてしまいそうだ。
 屋上に限ってぼろぼろなんて納得いかないと思うルシアである。
 身を潜められる場所をきょろきょろと探して頷くと身を寄せる。
 何も悪いことしてないのに、心臓がうるさく高鳴っている。
 二時間後まで見つかりませんように。
 手の平を組んで祈る。
 どこでも座り込む癖がついてしまっているルシアは、ぺたんとしゃがみ込んだ。
 衣服が汚れるのなんてお構いなしだ。
 せめて、いきなり目の前に現れるのだけは勘弁して。
 扉を開けてここに来て。
 ルシアは心底から願った。

 クライヴは、ルシアの考えることなんてお見通しだった。
 彼女が彼が思うほど単純ならあそこにいる。
 すぐに捕まえては面白くないからわざと焦らしている。
 じわりじわり獲物を追い詰めるのが性分だ。
 勝ったと思わせた瞬間に、捕まえてやろうか。
 少々意地が悪いけれど。
 ルシアの反応が想像できて笑えた。
 ほくそ笑んで、クライヴは城内を闊歩する。
 城の玄関に備えつけられた壁時計を見て階段を昇り始める。
「あの場所はかなり老朽化が進んでいるからな」
 はしゃいで飛び跳ねたら危険だ。
 ルシアは目新しいものを見つけると駆け回るのだ。
 クライヴは、今更ながら思い至り、慌てて瞬間転移した。

「ひい!」
 ルシアは悲鳴を上げて飛び退った。
 目の前には怒りやら焦燥やらを綯い交ぜにした表情の銀髪青年の姿が。
「何て声を出してる」
「だって、何で扉を開けてくれないんですか!」
「悪いな。急いでたもので」
「見つからないと思ってたんですから。もう少し夢を見させてください」
 ルシアは口をへの字に曲げている。
 クライヴは、珍しく強い口調で問いかけた。
「まさか、足を踏み外さなかっただろうな」
 床にぽっかりと穴が開いている場所を目敏く発見したクライヴである。
 クライヴの鬼気迫った様子にルシアはびくっと脅えた。
「……走り出した途端に足を踏み外しちゃって。
 何とか足を踏ん張ったから助かったんだけど」
「馬鹿が。お前はそのはしゃぎ癖を直せ。
 立派に見えてもこの城は相当古いんだ。他が大丈夫だからと油断するな」
 怒りに任せるまま口にすると辛辣な言葉しか出てこない。
 ルシアは涙目になった。
 自分を心配しているからこそ、彼は怒っている。
「ご、ごめ……」
 謝ろうと口を開くルシアの背中に力強い腕が回される。
「もういい」
 ルシアは、クライヴの腕の中にいた。
「俺もお前の性格をもう少し考えていれば分かったのに……。
 本当に、無事でよかった」 
 クライヴは、安堵の吐息をついた。
「私、どうしてこうなのかしら。自分でも駄目な所だって思うのに
 ……クライヴに心配かけてばかりね」
 ルシアはうな垂れる。
 落ち着きがない自分がもどかしいのに性格は簡単に直せない。
 この分だといつか呆れられそうで怖い。
「直せっていってもお前はずっとそのままだろうから無理はしなくていい。
 怒られたくなかったら気をつけろ」
「……どっちなんですか」
「自覚しているならいいんだ」
「お見通しだったんでしょう」
「まあな。心配せずともいいものはやるよ」
 にやりとクライヴは意味深に笑った。
「本当に」
「近い内に、落ち着きを身につけなければならないと思い知ることになるさ」
「それってどういう」
 ルシアは、耳元で囁かれた台詞にぼっと赤くなった。
「夢を叶えてくれるクライヴに、私も欲しいものをあげられるのかしら」
「願って行動すればな」
 ふわりと髪が撫でられる。
 クライヴは瞳を細めていた。
 弾けるようにルシアが笑う。
 もっと手のかからないいい子になるから。
 だから、ずっとこの手を引いて歩いて。
 大好きでたまらないあなた。
 クライヴの言葉だけが真実。
 聖なる呪文となって私の中に溶けこむの。
「お前はそれでいいよ、ルシア。
 俺がいなければ駄目な女でいろ」
 面倒だが、受け入れてやる。
 他ならぬルシアだから。
「……甘いんだか厳しいんだか」
「お前のせいで調子が狂うんだよ」
 どうしようもないと、クライヴがぼやく。 
 ルシアはきゅんと胸が疼くのを感じた。
「……ありがとう、クライヴ」
 ぎゅっと抱きついた。
「どうして今、礼を言う」
「言いたくなったからよ」
 ふふっと笑うルシアは首に腕をきつく絡める。
 腕に触れた髪の毛はさらさらとしていた。 
「城内の老朽化が、進んでいる場所全部修理しましょう」
「そうだな。もしもの時危ないからな。
 ……もう既に危なっかしい奴のせいでひやひやさせられているが」
「うう。だって」
「明日にでも人を呼んで修理をさせよう」
「え、偉そう」
 ルシアは笑いを堪えようと必死になった。
「昔はどうあれ、この城は俺の所有物だ。
 ルシア以外で人間を入れたことなどないからちょっと気が引けるが仕方がない」
「魔術使って直そうと考えなかったんですね」
 そこが意外だった。クライヴなら簡単に直せただろうに。
「くだらないことに力は使いたくない」
「……クライヴらしい」
 ルシアは思いっきり納得した。
「修理が完了するまでここも立ち入り禁止だな」
「……残念だけど、しょうがないですね」
「落ちかけといてよく言えたものだ。
 今回は運が良かったが二度も無事とは限らないぞ」
 落下しかけた恐怖を思い出してルシアは青ざめる。
 クライヴに何を言われても文句は言えない。
「はい」
 クライヴはルシアを横抱きにし魔術を唱える。
 目まぐるしく景色が移り変わり、地下の庭園に辿り着く。
「花がいつの間にか増えたな」
「魔術勝負の前にちょっと景気付けに咲かせてみたんです」
「こんな偽物の花なんて必要ない」
 ルシアは表情が強張った。
「クライヴ?」
「俺の側にはルシアという花があるのだから」
「もう」
 ルシアは恥ずかしくなってクライヴの胸を叩いた。
 軽口は言わないからこそ、より真実味を伴って響く。
 自分の胸元に当てられた手の平を取ってクライヴは唇を押しつけた。
「さあ、部屋に戻ろう」
 腕を引いて、また部屋に戻る。
 陽光が降り注ぐ部屋の中で、二人は口づけを交わした。
 

15.聖祝   16.命の花
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